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2007/09/20

ミクロを忘れたマクロ

バグダットバーニングのリバーベントは何とかイラクからシリアに脱出したんですね。
Leaving Home...(原文)
我が家を離れて・・・(和訳)

イラクを離れると書き残したのが4月の終わり。

しばらくの間は定期的にチェックしていたのだけれど、なかなか更新されず、ひょっとしてブログが更新される日はもう無いのかなと・・・

でも、9月6日の日付で更新されていました。
くだらないどこぞの国の茶番劇に気を取られていて不覚にも気がつかなかった。

記事に切々とつずられた離別の描写、思いは、私に彼女が無事であったことを単純に喜ぶ気にはさせなかった。

私は毎日のようにイラクのニュースを目にする。
「どこどこで自爆テロがあり何人が命を落とした」とか「マリキ首相がどうした」とか「政府の高官が暗殺された」とか・・・
あるいは「アメリカ軍の撤退がどうだ」とか「テロとの戦いがどうだ」とか・・・
そういったマクロな情報には事欠かないが、これら何の人の気配を感じさせないマクロな情報の中には、それこそ私達と同じように一人一人のミクロな現実があるんだと言うことを痛感させられる。

アフガンとイラクがどうだとか、国連決議1386がどうだとか、そんなことにばかり気を取られてそれらの原点を忘れていたような気がする。

今回のリバーベントの日記にあるのは悲しみ、恐怖、安堵・・・そして、そんな中でも忘れないユーモア。
そこに、恨み言は見られなかった。
それを綴ろうとすれば、いくらでも書き続けることができるだろうに・・・
それが、見られなかったことでなおさらそこからにじみ出る悲しみが痛いのだ。
悔しかったろうな・・・

私にはシリアと言う国に脱出して安堵感を感じる彼女の感覚が想像できなかった。
ヨルダンに脱出するイラク人がいることはNHKか何かのドキュメンタリーで見たことはあるが、シリアはテロリストを支援している国だと言うアメリカの報道のせいか何かしら緊迫したようなイメージを持っていたため、リバーベントの

The Syrian border was almost equally packed, but the environment was more relaxed. People were getting out of their cars and stretching. Some of them recognized each other and waved or shared woeful stories or comments through the windows of the cars.

という雰囲気が意外であった。
ドキュメンタリーで見たヨルダン国境のイメージともずいぶん違う。

そして、次の一節が頭にこびり付いた。

Most importantly, we were all equal. Sunnis and Shia, Arabs and Kurds… we were all equal in front of the Syrian border personnel.

イラクに共に住んでいた民族が、故郷を離れた故国の「淵」で、難民と言う立場でしか互いに憎しみ・不信を抱かずに存在できないことの不合理を感じずにいられなかった。

世界の様々なところに同様な、あるいはそれ以上の不合理はあるだろう・・・が今はリバーベントの身に起きた不合理に心動かされてしまうことを許してほしい。

彼女に、そして不合理に見舞われている全ての人に、いつの日か平穏が訪れますように。

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