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2007/09/07

アフガンとイラク

アフガンとイラクを区別しろと言うけれど、法律の経緯に区別はあっても、その現状は区別などできまい。

テロ特措法は、9.11直後の認識で立てられた時限立法であり、イラク戦争の「イ」の字も想定されない時点での法案である。

それ以降の過程で前提が変われば当然見直されるべきものであるにもかかわらず、何の検証もせずに、まともな議論もせずにただの「延長」でごまかして、放置しながら現在に至っているのだから法律と現実とに矛盾が出るのは当たり前である。

日本が追随しているアメリカ(政府)は一貫して「テロとの戦い」としてイラクとアフガンを区別などしていない。
区別していないアメリカ政府のもとで展開されている米軍と行動を共にしているのだから、日本の米軍支援にイラクとアフガンを区別することはできないだろう。

国連決議1368(注1)は先進国の多くが賛意を示したとは言え、それぞれの国はそれぞれの国の国情にしたがってその行動を自ら選択したし、そのように解釈できる決議だった。
それなのに、政府は米国に追随するために国情(制約)を無視して「米国のような」国連決議の解釈を選択してしまったのだ。

本来ならアメリカがアフガニスタンへの武力行使の根拠とした「テロとの戦い」に関連付け、その延長線上にイラク戦争を意図した時点で国連決議1368にも立ち返って、日本の国情と政府が選択した国連決議の解釈との更なる乖離を検証していればまだしも、イラク特措法まで作り出して米軍と一体化してしまったのだから救いようが無い。

アメリカのイラク戦争突入で、国情を無視してまで政府が選択したどちらとも取れる国連決議1368の解釈も完全に破綻してしまっているのだ。

アフガンとイラクを区別しているのはEUであり、アメリカにもイラク戦争に否定的な風潮が広がるにしたがって区別する傾向は出始めたが、それを区別し始めたのはアメリカ政府以外のアメリカであり、日本はEUや「政府以外のアメリカ」に協力しているのではなく、アメリカのブッシュ政権に従っているのである。

このような政府の手続上の「手抜き」の結果現れた「矛盾」をその当事者自ら「現実」のせいにするのは本末転倒である。
最近の企業犯罪や社会保険庁の構造と全く同じで、問題を放置して、既成事実を積み上げ、その結果生まれた問題の責任を追及されることが無いように現状を追認することで問題を大きくしてしまう。

もはや既成事実である以上、時間を戻さないかぎり「手抜き」で生まれてしまった矛盾は日本の面目に傷が付くこと無しに回復することはできないが、既成事実にひきづられて道理に合わない状態を追認してしまえばそれ以上の傷が付く。

「手抜き」で積み上げられた「既成事実の矛盾」の責任は政権担当能力に欠けていた現与党が取るべきものであって、参議院で野党がその回復を図ったとしてその結果日本の面目に傷が付いたとしてもそれをもって政権担当能力を問うのまた本末転倒であろう。

米国の下院で「対テロ戦争への貢献など日本の安全保障に関する努力に感謝する決議」なるものも可決されたようだが、リップサービス以外の実質的な感謝を何らかの具体的行動で示されたわけでもない(例えば北朝鮮問題)のだからなんらかのobligationを負ったかのように「情」に動かされないようにしたいものだ。

かといって、少なくともアメリカも悪意があってそうしているわけではなくアメリカは当たり前のことを当たり前のようにしているだけで、アメリカからの実質的な見返りが無いとかリップサービスだとか言うことを責めるのはおかしな話である。
相手の責任などではなく、望みもしないものを他責的に「しかたがない」と言って何を望んでいるのか表明しない日本の姿勢にこそ問題があるのだから。
たとえ妥協するにしても妥協するのはその後だ。

素直に「ありがとう」といいながらそのうえで「でもテロ特措法の延長はできないよ」と言い、それを言いつつ「延長はできないが、テロ撲滅のために日本ができる事は誠心誠意取り組んでいくつもりだから今後もよろしく」と言えば良いのだ。


【注1】
せっかく国連決議1368が話題になっていたのでそれについて少し。

国連決議(1368)はどうなっているかといえば、9.11を「テロリストによる行為」と認定し、その上で「テロ行為」に対して国際社会が一致団結して、取り組むことを求めている。
この決議の契機は9.11ではあるとしながら、具体的な要求の対象が9.11に特化したものであるかどうか、「責任を追及し裁く」対象が9.11に関与に特化したした「その」テロリストであるかどうかはどちらにも解釈できそうな記述に読める。
少なくともイラクを名指し具体的な行動、権限を承認した湾岸戦争時の国連決議(678)のように、アフガニスタンという固有名、タリバンやビンラディンという固有名が出てくるわけではない。
前段(前文、および1,2項)は具体的に9.11に焦点を当て、後段(4,5項)をテロ行為に対する姿勢・決意・協調を一般化した文言で記述されているような構成になっている。(3項はどちらとも取れる)
そしてその構成ゆえに全体としては、前段を全ての後段の前提としているようにも取ることもできるし、前段を「契機」として後段をテロ一般に言及しているようにも取れる。

これらは、事件発生直後の決議なので、その緊急性・重大性にもかかわらず具体性に言及するまでの材料が乏しかったという事情も考えられるが、その事情によって具体的に言及していないという事実を無視できるわけではない。
ただ、具体的な記述が可能であったか可能でなかったかよりも、むしろそれぞれの国がそれぞれの国の事情を抱えていることを考慮して(9.11を契機として強く意識させながらも)解釈の自由度を確保して決議を成立しやすくするために敢えて後段を一般化した文言で慎重に記述されたように受け取れる。

私は法律文書や英語の専門家ではないので、その読み方が正しいのかそうでないのか分からないが、国連の決議そのものがそもそも玉虫色であることを理由に小沢代表に国連主義に疑問を投げかける専門家もいるぐらいなので湾岸戦争の決議(678)よりさらに具体性を欠いたこの決議が解釈の幅を広げたものと見てもそれほどおかしな話ではないだろう。

1368の採決に賛成票を投じながらも後段に記述された要求をアフガニスタンへの軍事行動に参加、協力するという具体的な形で応えなかった国(中国、ロシアなど)もあり、それらの国が国連の意向を無視しているとして非難されるわけではないので「実質的」には各国の具体的行動についてはそれぞれの解釈に委ねた形になっているのだからそのように見るほうが現実的だろう。


そして各国の判断に委ねられたこの国連決議1368を(その是非はともかく)当時の日本政府は自らの判断として前者の「前段を後段全ての前提としている」という「解釈」をとる立場に立って受け取ったということだと思う。

だから、国連決議1368を小沢代表の言うように解釈するするのも『あり』であり、彼の解釈が政府と違う解釈に立っているとして指摘することはできても、『間違い』とするのは無理があると思う。

もし、国連決議1368を根拠に小沢代表の延長中止論に反論するならば、答えを生まない「解釈論議」に終始して議論が矮小化されてしまうことであろう。

その妥当性を議論するならば、これまでの経緯、現況、今後の展望を精査し、日本の理念・国情に即して実質的な議論をしてほしいものである。

【参考】
国連決議(Security Council Resolutions)
外務省の国連決議1368訳文

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