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2007/03/20

合理性と前提

「合理性」を採るなら、最低でも前提は明らかにされるべきだろう。
そして可能な限り、その前提に何らかの手続き上の合意や正当性、認識の共有が必要だと思う。
また、その合理性が何を目指しているのか、何が期待されるのかが示されるべきだとも思う。

前提の無い「合理性」は意味をなさず、「ベクトル」(目標,強度)や「指標」(尺度)が示されない「合理性」に有用性は無い。
それが「合理性」を用いるための最低条件なのではなかろうか。

そんな風に思う。


確かに何かを切り取らなければ何事も成されない。
何事かを成さなければならないと言う理由は必ずしも自明ではないが、今はそれが前提となっている(進歩とか発展とかが肯定される)からこそ「合理性」と言う概念が浮上してくるのであって(その前提の上で起きてくる事を扱う以上)これを無視はできない。

「合理性」は偶然を期待しない。
偶然から生ずる揺れや誤差を「相対的に軽微である」とする事が妥当であるとして捨象する。

ただし、偶然は「未知」から生じる概念である以上,それが「既知」となればそれはもはやかつての偶然(誤差)ではなくなり、そこに捨象の妥当性が覆される「余地」(リスク)が常に潜んでいる。

一方,多くの事象では「完全な」前提の合意や認識の共有は期待できない。
それだけではなく、様々な概念が既知の物として解明(されたと認識)されればされるほど、複合的になればなるほど益々それを期待する事は難しくなる。
それでも,「合理性」は抽象とそれに伴う捨象を要求する。
だからこそ完全な合意や認識の共有「そのもの」の代わりに,価値に左右されにくく合意可能な「それらを仮に決定する手続き」に正当性を委ねている。
故に、そこには非可避的に何らかの「恣意性」や「留保」を抱え込む事になり、抱え込む事をも前提とせざろう得ない。(同意せざろう得ない)
そこにもまた捨象の妥当性が覆される「余地」(リスク)が潜む事になる。

おそらく、合理性の上では、前提が確保されているからこそ、リスクが顕在化/現実化したときに、それを「間違い」と呼ぶ事ができるのだと思う。

「合理性」は「間違い」を期待はしないが、その「間違い」の可能性を構造的には前提としている。
「指標」や「ベクトル」は「成果」を明らかにすると同時に「間違い」も明らかにする。
むしろ、「成果」を明らかにするのと同様に、その「間違い」を明らかにすることにその
有効性/有用性を見出しているともいえそうだ。
その間違いを検証し、「新たな前提に置き換える事」が人の進歩の歴史なのだと思う。
その際「責任」やその「帰属処理」はそのリスクが現実化してしまった際の損失感・理不尽感への「必要な手当て」として機能しているのだろう。

「合理性」は「合理性」のうちに完結すべきなのだと思う。
(多様で曖昧な)価値感の出番はそれを集約し正当性を確保しつつその前提を設定する際とその前提,指標,ベクトルのもとに明らかになった結果を「前提をも含めて」再評価する際にある。

様々な怪しげな合理主義者は、意図的に前提を曖昧にし、その前提の妥当性/正当性を顧みず、その目指すところを明らかにしないまま、ただ自らの立場(価値観)の為だけに「捨象」を合理性の名のもとに正当化する。
その結果の「明らかさ」をも都合が悪ければ曖昧にする。

そうかと思えば合理性で始めた議論に途中からご都合主義的に曖昧さを持ち込み、当初の合理性の前提であるべき「指標」や「ベクトル」を改変し、「問題」や「間違い」を責任回避のために「隠蔽」してしまう。
それを容易にすべく、最初から「前提」や「指標」や「ベクトル」に不透明さを担保しようとするからますます途中で曖昧さが紛れ込む。

そのようなモノに有用性/有効性があるとは思えないし、それは「合理性」と呼ぶには相応しくない。

そんな「合理性」の前提を無視した「合理性」モドキが「合理性」の信頼と有用性の信頼を貶め、しいては「それらを仮に決定する手続き」(制度)の信頼性を貶めてしまうように見える。
さらにそこに生まれる不信が、本来人にとって大事な価値観に「暴走」を許したり、その反動として大事な人の価値観の「抑圧」を招いたりしてしまうのではないか?

「間違い」をどう捉えるか、「責任」をどう捕らえるか、「仮定」をどうとらえるか、「手続き」としての法やルールをどう捉えるか(是非との兼ね合い)、そこにある「自己責任」という概念をどう捉えるか
合理性を有用なものとするための「暗黙の前提」がこのあたりに「あたりまえの事」として潜んでいる。

もしかすると、様々な日本の文化的背景とこれら合理性の「前提」との「相性」は最悪なのかもしれない。
最近の与党の政治家の行為・発言(彼らの自己責任論もそうだが)やメディアの論調を耳にするとそうは思いたくは無いがそう思えてきてしまう。

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