« 切実 | トップページ | 北朝鮮の地下核実験 »

2006/10/01

所信表明演説

安倍新総理の所信表明演説を聞いた(見た)。
以前見たpdfのパンフにあったものを殆ど踏襲しているような感じだったが、安倍総理の言う「美しい国」が4つの柱として述べられていたのでちょっと感じたことを書いてみたい。

「美しい国」の4つの柱
1.文化、伝統、自然、歴史を大切にする国
2.自由な社会を基本とし、規律を知る、凛(りん)とした国
3.未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国
4.世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国

夫々を個別に取り上げれば分からないという事も無いのだけれども、これらは..なんと言うか「自己自家中毒」を起こしそうな気がしてならない。
これらは互いに根本的な部分に対立的概念が含まれていて、現実的には優先順位と妥協、あるいは曖昧さによる包含等によって取り組まざるを得ない課題だと思う。

「1」を立てるにはオープンにするべきところと守らねばならないところの何らかの「境界」を設定しなければいけなくなると思う。
あるいは事実を離れて新たな共同幻想としての概念を打ち立て、その概念によりこれらを包含してグレーを白と言い立てるなどの方法が必要になりそう。
グローバリズムと1との関係はそのシステム上の特徴から考えれば、そのまま欧州型か米国型の違いを意味しそうな気がするのだが違うだろうか?
所信演説で「3」について述べているところを聴いていると、「未来に向かって成長」していく手段は、より「自由な自助型市場原理」を志向しているように思える。
つまり、米国型グローバリゼーションだ。

普通に考えれば「1」に重点を置けば結果的に(形の上で)欧州型グローバルを志向することになり、「3」が志向する自由な自助型市場原理(オープンスタイル)に重点を置けば米国型グローバルを志向する事になるように思える。

でも、3を実現する手段、つまり米国型グローバリズム重視を「既定事実」として考えざるを得ない政府の立場を考えれば、対外的には米国型(対外的)なのだけれども国内的にはあたかも欧州型システムを装わなければいけないといったトリッキーなものになってしまいそう。
(文化、伝統、自然、歴史を守ろうとする時に自由・民主主義以前の歴史を持つ欧州や日本と、それ以前の歴史の無い人工国家的アメリカとの間でグローバル化に対するアプローチが違ってもそれは当然だとも思うのだが...)
それはなんか、実体は(国内的には)社会主義的(共助的)社会であったにも拘わらず、(対外的には)資本主義国家である事を装っていた高度成長期とその矛盾が噴出した円高以降の日本の姿を思い起こさせる。

もし、このような状況が現れれば、「1」は国内的な(しかも対外向けとの整合性・根拠の薄い、信頼を生みにくい、形式的)パフォーマンスに終ってしまうのではなかろうか。
これを共同幻想で辻褄を合わせることができても、「事実」がそこに「無理」を生み、手段として用いたはずのその「共同幻想」がもたらすであろう「それを希求しようとする切実さ」を回収しきれなくなるのではないか。

「2」は「2」で米国型を志向することが前提の「3」との兼ね合いでこれも厳しい選択を迫られそう。
この「2」で謳われている「規律」のあり方は所信表明演説の後半を聴くと,個人主義を基調とするのではなく共同体主義を志向しているように見受けられる。
とすると「共助」と「自助」が真っ向からぶつかり合ってしまわないか?
恐らくここでも現実的な選択として米国保守的「自助」により重点が置かれ、共同体幻想に共助を夢想する「切実さ」が(国内的に)自己自家中毒を起こしそう。

このようなダブルスタンダードこそが国内的には「誇り」を,国外的には「信頼,尊敬,リーダシップ」つまり総理が望む「4」に破綻をきたす要因になりはしないか?

演説の最後の方で総理が「美しい国」の姿として引用されるアインシュタインの言葉「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」はどう考えてもプラグマティズムや米国式市場経済原理との相性は悪そうだ。

「自助」「再起」の前提となる「多様性」についても、これは「日本人の意識」の問題であり,「日本人の意識」は「共有される概念」の話であって、「共有される概念」は納得から生まれるのであって、制度ができても「再現性(事実)」や「整合性」の無いところに真の「多様性」は生まれないと思う。

本気で総理の言う「美しい日本」を志向するなら「既定事実」として前提と見なしている「グローバリズムへのアプローチ」を根本から見直すことから始めなければ実現できないのではなかろうか。

所信表明演説は総理の個人的な理想を表明する場だとおもうので、演説自体はそれはそれでいいのだけれど、このあたりをどのように切り抜けていこうとするのか今後注目してみていきたい。

過去の関連blog内エントリー
多様性
経済至上主義の落とし子
参照リンク
読んでみる?安倍首相・所信表明演説の「全文」


|

« 切実 | トップページ | 北朝鮮の地下核実験 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 所信表明演説:

» アインシュタイン? [瀬戸智子の枕草子]
安倍首相・所信表明演説。 読みました。 いろいろ、いろいろ思うところ・考えるとこ [続きを読む]

受信: 2006/10/01 09:46

« 切実 | トップページ | 北朝鮮の地下核実験 »