Multi_layer
一つの出来事には様々な面がある。
それを考える経緯や、イメージからそれらを「視野」と言ったり「地平」と言ったり「層」「レイヤー」そして「前提」と言ったり、それこそ表現の仕方も色々あるけれど、これらは皆共通の「あり方」を表しているように思う。

例えば、同じ「自由」に注目しても,それが「自由」と言う同じキーワードだからといってそれが一つの自由と言うレイヤーを成しているというだけではなく、違うレイヤー上においても、そこでの独特な作法で「自由」は語られる。
「統治」というレイヤー上に出てくることもあれば、「個」というレイヤー、「経済」というレイヤー、もしかすると「安全」などというレイヤーで出てくるかもしれない。
もちろん「自由」と言うレイヤーもあるだろうが,そのレイヤー上では「それを成す為の」別のキーワードで語られているのだろう。
おそらく、このレイヤーはこれまで人の生み出した「概念」の数だけ「無数」あるのだろうけれど、それでも世界から見れば隙間だらけの「全く不十分」といった数だけあるにすぎないだろう。
常に予期せぬ未知と出会い、予期しない反応に出会うたびに新しいレイヤーが生まれているのだから常に「不十分」であるといえると私は思っている。
それぞれのレイヤーで語られる「自由」には重なるところもあれば、まったく別の様相で語られる事もある。
そして、それぞれの(自由が語られる)各レイヤーへの関心(影響)にも軽重があるだろう。
レイヤーは「論理」を適用するのに都合が良いカテゴライズであり、論理を支える何がしかの共通する場のような物にも思える。
別の言い方をすると「合理的解釈」のための「世界の切り取り方」なのではなかろうか。
そのレイヤーの中ではそこの作法に従うことで論理的に「世界」を扱うことを可能にしているようだ。
そういった意味ではレイヤーは社会学者の言う「システム」とも関係あるのかもしれない。
現代では「論理」「合理性」を潜在的に(疑うことなく,選択の余地なく)基盤にしているからなおさらのこと「自然に」「勝手に」「都合よく」、「世界」のあり方には関係なく「カテゴライズ」はますます進んでいく。
でも論理で観念できないからと言って(つまりカテゴライズがされていないからと言って)「世界のあり方そのもの」が意味がないわけでもなく、これまでのレイヤーに当てはまらないものに否応なく出会ってしまうことで、「意識せざろう得ない」と言う形で無視できない意味を持つはずである。(それがあるからまた新たなレイヤーが次々と生み出されるのだが)
狂牛病問題などは「外交」や「経済」のレイヤーもあれば「安全」のレイヤーもある。
もちろんその他の様々なレイヤーもあることだろう。
経済のレイヤーで見る場合には経済にとって「概ね」何が合理的かを語ることはできる。(実際にはこのレイヤーの中にもサブレイヤーがいくつもあり、その中での取捨もあるので「概ね」なのだが)
外交のレイヤーでは外交にとって「概ね」何が合理的かを語ることもできる。
安全のレイヤーでは安全にとって「概ね」何が合理的かを語ることもできる。
しかし外交・経済・安全の各レイヤー同士では軽重・度合いを語ることはできても、個々に挙げた各レイヤーの論理でこの問題の全体の合理性を語ることは難しい。
現実世界ではいくら「経済の活性化の為には障壁のない自由貿易こそが合理的である。」
と言われようとも、それは経済レイヤーに限れば論理的説得力は確かにあちそれはそれで間違いではないのだが、別レイヤーである「安全」や「外交」を考慮する必要があるときにはこの論理的説得力は無力であり、このような各レイヤーにまたがる問題ではレイヤー同士の軽重・度合いでしか妥当性は語れないだろう。
経済のレイヤーの論理で「最善」であることに従っても、外交・安全のレイヤーや考慮されない他のレイヤー上ではそれは「最悪」を意味することもあるはずだ。
最善を選択したはずであっても他のレイヤーで「最悪」であれば当然「世界」は「それなり」の反作用を示すことになろう。逆も然りである。
経済のレイヤーの理論で作法の違う外交・安全のレイヤーの理論を語ること(その逆も)だけでは妥当性はどうやら得られそうにない。
これを「あくまで合理的に」語るには政治・経済・安全をレイヤー上に置く別のレイヤー、もしくは新たなレイヤーを創造してそこ(基本理念)での妥当性について語ることになるのであろう。
当然このレイヤーも一つの「世界の切り取り方」には違いない。
だからと言ってどんな物でもいいというものでもなく,このレイヤーがレイヤーである為には「作法に従う」場であるための「信頼」が必要になるのであって、このレイヤーにおいて世界の一部をしっかり切り取っていると観念できるだけのものでなければならないから難しいのだろうなと思う。
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