危機意識は作られる
そこに事実があり、その事実のなかに危険があると分析されるから危機感を持つというのは普通のことである。
が、必ずしもそうでなくても元々あった事実以上の危機感は生み出される。
緊張を作り出すことで危機感を作り出すこともまた可能なのである。
現実的には、危機感は「不安」でしかなく、その原因となる危険要素を低減する事は有益である。
しかし、それを上回る有益性が期待できるなら危険要素を高めることも「現実的政治の世界」ではよくあること。
緊張という既成事実を作り出し、無視できない既成事実を利用し、政権が目指す選択肢に絞り込むには都合はよい。
これは昨日の「新閣僚」の「強行を伺わせる面々」を見ていて思った事だ。
これまでの手法同様、既成事実を利用した小泉首相らしい政策は続きそうだ。
政権担当者がある理念を抱きその視点から現在に対し何らかの問題意識や危機意識を持ったとしても、それに対していつも国民の多数が同じ意識を持って居るとは限らない。
国民とは得る情報の「種類」も「量」も「関心」も違う。
何よりも「国家」という視点で見るかどうかに大きな違いがある。(もっともこの国家をどう捉えるか自体が問題でもあるのだと思うが)
その理念も問題意識も危機意識も現時点で表明すれば理解も支持もされないと思われる場合(価値観が交錯していればなおのさらこのような状況を生む可能性は大きい),そこに「導く」事を「使命」と捉え上記のような手法でステップを踏みながら理念に近づけようとしてもおかしな事ではない。
何かを成し遂げるときに必要な実行力(実現力)である事とは確かだ。
ただし、「実行力のある政権担当者という事」と「好ましい未来をもたらす指導者である事」は同じではない。
なぜならばこの場合、政権担当者が描く理念は成就するまで表に出される事は無く、その理念はあくまで間違いを起こしうる「人」であるところの彼が描く理念でしかないからだ。
今の政権が信任を受けてから「改憲草案提出」「共謀罪」「日米安全保障会議」等、構造改革内閣とは別の一貫性のある動きが活発になってきている。
憲法改正や国内の安全のための管理統制強化や日米緊密化は、「既成事実」としての(対中)「危機感」が高まれば高まるほど、中国に非難させればさせるほど国民には現実問題となり正当性を持つようになる。
それらを成し遂げるには国民の同意が必要であり、そこをクリアするには対外的な「危機感」は必要不可欠である。
おそらく、改憲、共謀罪法案をはじめとする国民管理が軌道に乗るまでは多少の調整はしながらも「緊張」を維持しようとするのではなかろうか。
米国でもブッシュ政権がイラク戦争前夜から現在にいたるまで一貫して利用してきた手段でもあり、この二人は頑固なところもそうだがよく似ている。
米国ではイラク戦争の評価も大統領のこのような手法に対しても国民、マスコミいずれも既に懐疑的になりつつあり、ミスリードであったとして糾弾が始まっている。
(言い換えれば政権担当者の理念が好ましい未来をもたらさなかった事がほぼ国民の共通認識となり,それゆえ成就していれば問題にならなかった「手段」の不当性に焦点が当てられるようになってしまったともいえるのではなかろうか)
米国の対中姿勢を当てにし過ぎて、緊張が高まった中で建前はそのままに実質的にやんわりと梯子を外されることがないとも限らない。米国にとっては対中関係は建前上はともかくプラクティカルには優先順位は高いのだからブッシュ政権も力を失えば微妙な立場に追い込まれかねない。
もともとなかった危険要素を敢えて作り出す事が本当に国益なのだろうか。
今回、危機感で積み上げられた既成事実により生み出される既成概念は「本当の現実」に対応できるものなのだろうか?
今の米国は、イラク政策により作られた危機感によって積み上げた既成事実が「本当の現実」に直面し身動きが取れない状態に陥ってしまった。
危機を演出したが「理念」はならず、その「手段」であったはずの「危機」だけが現実として残ってしまった。
多くの国民が、マスメディアが、知識人が「現実的に良し」として熱狂的に支持した「ブッシュ政権が演出した既成事実に対する現実的対応」が「行き詰まり」に直面し、初めて「本当の現実」と乖離した別のところに来てしまったことに気が付き始めたのである。(でも、そこを検証しようとするところはさすがに米国だと思う)
道理は道理、それに反する覇道ではなく王道を歩むことはできないのであろうかと思ってしまうのである。
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