国民主権
>彼らは「国民を導くのは我々だ」と考えている。
>彼らにとっては我々国民は「自由」と「身勝手」の区別もつかぬ未熟者でしかない。
>国民などは信用していない。
>つまり、民主主義を信用していない。
>民主主義の自己責任を理解していない。
>日本の将来を決めるのは政治家ではない。
>どのような将来になろうとも日本の将来を決めるのは国民だ。
>民主主義は国民の自己責任の産物である。
>政治家の思い込みで決めた国の将来に政治家が責任など取れるわけが無い。
>国の将来に責任をとる事ができるのは国民自身以外には無い。
>結果的に、どんなに間違った将来になろうともである。
>政治家が尊敬に値するのは、より良い方向に向かう為のビジョンを持ち、それを国民に訴え納得を得る能力があるから>ではないのか?
>政治家は国民の指導や規制ではなく、理解を得るのが仕事のはず。
>そうすることで国民も政治に関心を持つのであって指導も規制も必要ない。
>さもなくばこの国の「民主主義」などという看板はさっさと下ろすことだ。
。
以前のエントリーで私はこう書いた。
今回の総選挙でも
>どのような将来になろうとも日本の将来を決めるのは国民だ。
>結果的に、どんなに間違った将来になろうともである
に何ら変わりはない。
今回の選挙の結果は私には好ましくなかろうと、この価値観が揺らぐ物ではない。
そして
>民主主義は国民の自己責任の産物である。
から、選択により定まった方向性による起こりうるリスクも私を含めた国民自らの物である。
(リスクを負わ「ねばならない」などと指導される筋合いはないが、負う事に「なる」のである。それがOwnRiskの本質だと思う。)
国の施策はその方向性によって行われる事になり,その影響は直接私に降りかかり、その影響を避ける事はできない。
国民の審判と違う投票をしたといっても、その違う意思を語らう事ができなかった事においてはやはりOwnRiskであろう。
得票率を問題にしようとそのシステム(小選挙区)を取り入れることに無関心であった事においてOwnRiskであろう。
生活の中で,社会の中で、その触れ合いを通じて共感を得られなかった事においてOwnRiskであろう。
しかしそれはそれ。
たしかに、本当に私が思うその方向に好ましさがあるかどうかの結果は常に不定である。
同様に、国民の総意がその方向に国民にとっての好ましさがあるかどうかの結論も常に不定である。
でも,同時にOwnRiskであるが故に、自らが好ましいと思う事をOwnRiskで主張していくしかないのである。
「日本の将来を決めるのは国民」であり、私も国民である。
個々の国民が、OwnRiskで国民としての自らの主張をしてしのぎを削る事、それが不完全でも「とりあえず現時点での最良のシステム」をもっとも有効に生かす道であると私は今でも思っている。
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