私の主観
私は首相に対して信頼感を持っていない。
その前提をどうしても取り去る事ができない。
それは、郵政問題に関する評価にも影響している。
つまり,言葉には道理を見出すところはあっても、それが言葉通りには行われないだろうと言う思いである。
そして、その通り行われなかった部分に関しては様々な言説で煙にまかれてしまうのではないかという思いさえある。
手をつけやすい部分に手をつけ、事態が一息ついたらそこに生まれる「現実」を盾に今回先送りされる核心部分に潜む問題が緊急避難の後には「なし崩し」的に放置されるのではないかと「疑って」いる。
それを私に植え付けているのは
道路公団での新規建設凍結の反故であり、特殊法人の放置である。
年金問題で言うならば、国民への保険料UPのみが早々決められ、その一方でこれも特殊法人は放置、一元化問題も言及するだけで実際には先送りした経緯である。
先送りした期限が来る頃には恐らく任期切れ(正確には首相自身が1年後の辞任を表明している)を迎え、それに対し責任を問われるとも思えない。
過去を検証するのが苦手なこの国では、先送りされた難問の責任を押し付けられるのは「後任」であり、「後任者」は「前任者」の引き立て役にしかならない公算も高い(と私は今のところ思っている)
道路族や建設族は今どこに所属しているのだろう?
厚生族は今どこに所属しているのだろう?
残された難問にいよいよ取り組まなければならないそのときに、今回「郵政族」を追い出したように、理念にもとずいて再び彼らを追い出すと言うのだろうか。
今回の分裂で「改革派」と「抵抗勢力」が分かりやすく分裂したように言われるが「構造改革(一般)」に対する「抵抗勢力」は改革の対象ごとに存在し、今回「改革派」に属性分けされた中に厳然と同居していながらその顔は隠れているのである。
私は、自民党が古い自民党の集票システムで選ばれた議員で構成されている限り、この根本的な構造は維持されつづけると思っている。
たとえ代替政党が頼り無く見え,時間が余計掛かりそうでも政権交代を願わずにはいられない理由がここにある。
上に書いた事は首相が公約した「構造改革」に関する事柄を述べただけである。
つまり、小泉首相在任中に起こった様々な事柄からみえてきた物
(イラク戦争を通して浮かび上がる様々な「市場原理」のもう一つの姿、環境問題を通して垣間見られるグローバル経済との関係性、欧米の対立から感じ取られるグローバル化へのアプローチの多様性、常任理事国入り運動で見られた各国の思惑、6カ国協議で思い知らされた日本の立場等々。)
に対して採られた外交政策が殆どその成果をあげていないことは考慮の外である。
本来ならば「必然としての世界の潮流である(あらゆる価値観の)グローバル化」に如何に対応するか、その選択として経済至上主義的なグローバル経済が本当に妥当なのか,それが日本にどのような未来をもたらすのかに対するビジョンを提出されてしかるべきだと思うがそれはここでは触れていない。
これら、(私から見て)マイナス評価を加味したならば「何もしないよりはましである」とか「郵政民営化もできないようでは構造改革はできない」という説得力を感じさせる言葉に接しても空しく響くだけなのである。
閉塞状態におけるリーダーシップに魅力を感じさせてもそれだけでは暴君であるか名君であるかの区別にはならない。
そして、郵政民営化よりも「過去の実績から見える首相の持つ構造的な性質への不信」こそが別の大きな切実な問題をもたらすリスクとして迫ってくるのだ。
この差し迫った財政危機の中にあっても、悲しいかな,私の場合「今のところ」この「不信」こそが投票行動を決めるの唯一の前提である事は変りそうも無い。
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