モノクロとカラーと青空
戦後生まれの私にとって戦前、戦中、戦争直後の日本は長い間モノクロだった。
映像として写っている戦争もまた、その多くはモノクロ。
当時の両親の写真はセピアだ。
だから、両親から聞く当時の話も私の頭の中ではモノクロやセピアに自動的に変換された。
米軍の撮影した映像にはカラーもあったが、それに特に注目もしていなかったのでイメージはあくまでモノクロであった。
小さいころ私はプラモデルに夢中だった。
田宮の1/35のMMシリーズでディオラマを作っては地元のプラモデル屋のプラモデルコンテストに出品したりしていた。
そのころはテレビでビッグモローの「コンバット」を見て、戦争映画を見て、プラモデル屋に置いてあった第二次大戦中の特にヨーロッパ戦線の事が書かれた写真入の雑誌を少ない小遣いで買って読み、研究に余念がなかった。
「コンバット」はほとんどは白黒だったのだが、たまにカラーの時があり、それをプラモデルを塗装するときの参考にしたりしていた。
部活と受験のためにコンテストで賞をとったのを機に止めてしまったが、戦争にも色があるんだよなと思ったのはそのころだろうと思う。
それでもそこにリアル感が湧き上がるというようなことなどなかったような気がする。
ミリタリーものに興味があったちょうどその頃、図書館でベトナム戦争の写真が掲載されていた雑誌を偶然目にした。
それはアメリカ兵が銃を肩にかけ、一方の手で、下半身の吹き飛ばされたベトナム兵士の遺体を持ち上げながらなんとも複雑な(眉間にしわを寄せ少し疲れたような)表情でポーズをとってる写真だった。
最近でこそ、このような死体の画像は珍しくもないが、当時は今ほど「自由」に目にすることができなかっただけに衝撃的だったことを今でも覚えている。
その雑誌の写真もまたモノクロであった。
もしカラーだったらさらに衝撃は大きかったかもしれない。
戦争には色がある。
そんなことはあたりまえすぎるほどあたりまえなのに、モノクロのイメージで当時をイメージする自分に何の違和感も感じてはいなかった。
色があるのはプラモデルに色を塗るとき。
近年に作られた映画を見るとき。
いかにも質の悪い色の褪せたカラーの記録フィルムを見るとき。
それはモノクロ画像を見るのと大して違いはなく、作り物を見るような感覚で、リアル感などは微塵もなかった。
ある程度の年齢になって、子供のころのある一場面を思い浮かべることがよくあった。
それは近くの海で、真っ青な空、ぎらぎらと照りつける太陽の下、うつ伏せになり、暑さで汗をにじませながら、BGMのように「せみの声」や「波の音」や「子供たちの嬌声」が聞くとはなしに耳に入ってくる、そんな場面だ。
それは記憶の中で「鮮やかな色」を持ち、暑さでにじむ汗の感覚があり、聞こえるBGMもそこに感じることができるそんな一場面の記憶だ。
あるとき母の疎開時代の話を聞いていて、戦争当時をイメージしたときの色と、自らの記憶の持つ感覚を伴う色とでは全くの別物であることに不意に気がついたのである。
なんとも鈍感なことだが、その違いを感知するまでに長い時間を要した。
いや、おそらく今もその違いを正しく認識し想像できているとも思えないが…。
戦争にも鮮やかな色があったはず。
鮮やかな青空があり、目を刺すような緑があり、ギラギラ照りつける太陽があり、流れ落ちる汗を感じる感覚があり、今私が感じるものと同じ感覚がそこにもあったに違いない。
あたりまえのことなのだが、未だにそれがなんとも不思議に思える。
「不思議な感じ」を持つ私は、戦争というものへのリアル感とは遠く隔たった所にいるということなのだろう。
想像しようとして、重ね合わそうとしてもそれに近づくことはできない。
8月6日の8:15AMまでの広島にも鮮やかな青空があったにちがいない。
それは白黒でもセピアでも色あせたカラーでもなく、2005年8月の今、私がいる場所で私が感じるものと変わらないはずだ。
8:15AM広島ではどんな色が飛び交ったのだろう。
閃光、業火、砂塵はどんな色をしていたのだろう。
それは私が知っている色ではない。
私が知る原爆は米軍機から撮影された質の悪いカラー映像の俯瞰的な「空」と「きのこ雲」の色だけだ。
衝撃のあとの8:16AMにはどんな色を見たのだろう。何を感じたのだろう。
それは、私が想像できる色でもなければ感覚でもない。
それからしばらくたった広島はどんな色をもっていたのだろう。
瓦礫や犠牲者はどんな色を放っていたのだろう。
青空はそのまま鮮やかであったかもしれない。
その変わらない青空をどんな思いで見たのだろう。
その思いは私にはわからない。
私が知っているのは米軍の報道管制をくぐって公開された映像や(日本)軍の検閲を逃れた白黒の映像だけ。
分かった気になるなよ。
その色さえも想像できないおまえは原爆の何も知りはしない。
おまえが知ったかぶって戦争を語ろうとその実態を想像などできはしない。
おまえが覚悟を口にしようと、それはおまえの想像をはるかに超えるものなのだ。
戦後生まれの私は、この時期がくる度に戦没者からそう言われ続ける。
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