語り継ぐ事
8月15日を一日過ぎてしまった。
昨日は正午近くになり、時刻表示のあるチャンネルに切り替え正午を待って黙祷をした。
戦争が終わり60年。
考えてみるとこの60年の内、ここ数年ほど戦争について考えた事たことは無かったように思う。
私の祖父は兵隊として当時の満州に行き、父の兄弟のうち1人は戦死、1人は南方へ行き生還、1人は戦後直後の混乱の中で妻子を残して突然行方不明、父も母も東京大空襲を体験した。
当時の話を折に触れ聞いていたにもかかわらずどこか遠い過去の話を聞くようなところがあった。
当時は当時で真剣に聞いていたつもりではあったのだが、今考えるとそう思う。
父も母も戦争を語るときはあまり感情を出さずに話す。
(当時父は板橋、母は本所に住んでいたらしい)
橋の上で敵の戦闘機の機銃掃射に遭った事も、
東京大空襲で隅田川に多くの死体が浮かんでいた事も、
遠くを見渡せる焼け野原の話をするときも、
乗り合わせた船で高射砲の破片によって切り裂かれた子の話も
むしろ淡々と語った。
「死ぬ事は怖くなかった」と言った。
「焼け焦げた死体を見ても何も感じなくなる」と言った。
「今思えば~だけど、当時は~」とよく言った。
「それがあたりまえだった」とも言った。
そういえば母は疎開先で「英語」を教えてくれた先生の話もしてくれた。
疎開組と地元組みの食糧事情の違いも語ってくれた。
当時、父は朝鮮人や中国人に偏見を持っていたことや、今でもそれをいいことだとは思わなくとも心の底にはそれが残っている事、そしてそれは理屈ではないという事なども率直に話してくれた。(祖父はそれを隠そうともしなかったが)
B29が落す焼夷弾の音
B29が意外に低空を飛んでいた事
B29を迎え撃つ戦闘機や高射砲の情景、そしてそれを「きれい」だと思った事
川に逃げた人を表面をなめるように炎が襲う光景
そんな話もしてくれた。
これほど話してくれたのに...
戦争を語り継ぐ事の難しさを、受け継ぐ側の私の過去の内面を辿る事で今更ながら実感する。
でも、今だからこそ考えなければならないのだろう。
語ってくれた一つ一つがどういう意味を持つのかを。
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