ブラックゴースト団
ブラックゴースト団
これは私が子供の頃夢中になって読んだ「サイボーグ009」に出てくる「主体」の知れぬ「死の商人」。
主体の知れないことは子供心に釈然としなかったのを覚えているが、今思えば「そうある必然性」も何となく理解できる。
様々な「負の事情」を持つ多国籍の若者が、彼らブラックゴースト団により拉致もしくは勧誘され様々な戦闘能力を備えた戦争の為のサイボーグ戦士として作り出される。
その彼らが、ブラックゴースト団を裏切り、彼らと戦うと言う物語だ。
主人公のジョーこと009も少年院出身、ジェットこと002はウェストサイドストーリに出てくるようなギャングのリーダーだったと思う。
001(赤ん坊のイワン)と003(女性のフランソワーズ)以外はどちらかと言えば見捨てられた者ばかり。
NHKスペシャル「戦争請負人」の再放送を見ながら、ぼんやりこの昔のコミックの事を思い出していた。
子供の頃に読んだ「作り話」としてのストーリーが、なんとも「リアル感」を持って現れてきたような感覚と言ったら言いのだろうか。(今思えば当時から見る人が見ればリアル感を持ってみていたのかもしれないが)
後半の途中から見たのでイラクに派遣される南アフリカの「請負人」たちの話しである。
傭兵の話を発端に戦争ビジネスの話は出てくるが「ニュース」のような物でこのようなものは出てこないので見ようと思わなければ目にしない。
イラク戦争ではアメリカ正規軍の死傷者はカウントされ注目されても彼ら「請負人」達が注目されることも少ない。
ついでに言えば軍法会議もない「請負人」たちにより殺されたイラク人のことも当然のように注目される事はない。
背景には「アパルトヘイト」廃止後の職を失った白人たちの困窮があるようだ。
南アフリカではこれまで虐げられてきた黒人の復権の影で、それまで定職を持ち文化的な生活を送ってきた白人たちの失業・困窮がある。
ここに出てきた白人たちはある程度まともな住まいに住んでいるところを見ると、まだまだバラックのようなところに住む多くの黒人の困窮よりはましだとは思うのだが、これまでの生活との格差からみれば別の意味での「困窮」はやはり「深刻」なのだろう。
同様に経済生活に組み込まれ囚われた私には想像可能である。
貨幣による経済生活からもともと疎外された人々と、どっぷり組み込まれた人々とではそれを絶対的な「持つ持たない」だけでその「度合い」を比較する事もできない。
「生きるため」といいながら「なりふり構わぬ」ものというより「経済生活を成り立たせる為」に「命」をリスクとしてかけているような印象もあり、その部分にも思うところはあるが、本当のとことは分からないのでそれは今は触れない。
ここでは元軍人、元警官がイラクでの警護の仕事を請け負っており、現職警官(?)も休暇を利用して派遣されたりもしているようだ。
それを斡旋するのは「企業」であり、これも元軍人がかかわっているという。
立派な資本主義経済の中の一部である。
扱う物が「人」であり、付加価値は「命のリスク」、「その安さ」が競合差別化の要因、それを調達(供給)する事ができる条件がそこにあり、その市場(需要)が「イラク」にあることが「ビジネスチャンス」となって、資本主義的な市場原理が働き、成り立っている。
「倫理観」や「人の命の重さ」といった理性が生んだ「不純物」を取り払った誠に分かりやすい「純粋な」市場原理が働いている。
ドキュメンタリーの中では派遣された夫を失った家族、後遺症を負った「元請負人」がでてくるのだが、それを後悔するのは彼らだけ。
保険の利かないリスクに呆然とするのも、後遺症を負ってこの仕事の酷さを知るのも彼らだけ。
経済生活の危機にある者は、その他のお金を持って無事に帰ってくる「請負人」だけを自分に重ね合わせ、市場に「労働」と「命のリスク」を提供しつづける。
そこに見るのは「したいからする」というよりは「せざろう得ないからする」姿。
「勝ち組みとなった少数の元軍人・警官 と 負け組みになった多くの元軍人・警官」の物語。
確かに、本当の飾り気のない市場原理がそこで働き、現存する。
一見すると「混乱」でしかない状況の中に「整然」と現存する。
日本もそれを目指すのだろうか?
その気配はある。
私はいつまでもブラックゴースト団を「悪」にしておきたいのだが、もう「悪」としては成り立たないようだ。
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