現実的な対応
島根県の条例に端を発し、韓国国内での反日感情の高まりを受け領土問題がさらにクローズアップされて来ているようだ。
尖閣諸島の問題も引き合いに出されこれまでの政府の姿勢を弱腰であるとする論調を多く目にするようになった。
私が子供の頃、北方領土問題はソ連への嫌悪感から強烈な認識を持っていたが、竹島、尖閣諸島の問題を認識していた覚えは無い。
(それ以前は分からないが)私が子供の頃、時代はちょうど日中国交正常化でソ連との比較において韓国や中国に対する不信や脅威はそれほど大きく無く、(子供であった私も世間一般も)むしろその先行きを(相対的に)楽観していたように思う。
その当時の冷戦構造下では、ソ連は安全保障上の脅威としては飛びぬけていたと思う。
そのソ連と不和を抱いていた中国との「平穏」は好ましいものだったはずだ。
大韓航空機の撃墜や相次ぐ北方漁船の拿捕、ミグ戦闘機による領空侵犯など目に見える理不尽やリアルな脅威はソ連の物であった。
今も北朝鮮や(皮肉な事に)中国の台頭を「目の前の脅威」として、あたかも胸元に突きつけられたナイフのごとく喧伝され、その他の合理的思慮を一切排除しようとする「現実論」が認識を占める事に躊躇が無い状況を見ていると、ソ連の脅威を目の前にして、未解決の問題として当時も今と同様に存在していたはずの「韓国との領土問題」も「中国との領土問題」も「現実論」により矮小化され排除されていたのではないかと推測する事にそれほど違和感を感じない。
日本の経済的発展の影で停滞していた中国に対し、その優位性から余裕を持って対応していただろうし、その後「東側の崩壊」という現実を目にした我々が「今」考えられるほど、明らかに当時の西側が圧倒的優位に立つという予測が世間一般が持てるはずも無く、少しでも身近で大きな脅威であるソ連という「現実」に備える為にこれらの領土問題を見ない事にしてしまう状況は、現在の日本の政策や日本人のメンタリティーと何ら変わらないような気がして、私には政府も「世論も」それほど「今に比べ」異常であったとも弱腰であったとも思えない。
今思えば当時から北方領土同様、政府がこれらに対して言うべきことを言っておくべきだったと言う事は簡単な事だ。
しかし、「今ならばそうしない」とすることに確信を持つためには、北朝鮮や中国の脅威を認識している現在においても、そのために犠牲にしている日本の理念を「現実論」で片付けてしまう事(例えば対米追従で失う物)に目をつぶる事もできまい。
目先の現実のみに目を奪われ、その外にある領土問題への無関心や先送りで無用な混乱をもたらした事は反省すべき事かもしれないし、多分そうなのだろう。
それはそれで今後時間をかけてでも解決していかなければいけないものであるとしても,そこから得られるもっと重要な教訓は「目先の現実」に歪められずに、大事な物を「今」見失わない事なのではないだろか?
そこへの教訓をこの事例から受け取る事ができなければこれから先も同じ事をただ繰り返していくのではないかという私の杞憂は的外れであろうか?
時は流れ、常に状況は変化する。
今日の現実が明日の現実を保障する物ではない。
その不確かな「目の前の現実」にその都度身を委ねていては流転するのはあたりまえ。
「現実」にはまず「対応」するのは当然としても、それは「基本姿勢を損なわぬ現実的な布石」であることが肝心で、「身を委ねる」ものではないと思う。
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コメント
>時は流れ、常に状況は変化する
国民、国家という概念はさほど古いわけではない。今の日本、日本人という概念がやっと定着したのは日清・日露の戦争の後ぐらいでしょう。
あまり領土ということにこだわりすぎるのは十九世紀的というか、少なくとも二十一世紀的な世界把握には古めかしすぎる。
東アジアの平和と安定という大義のもとにどういった解決が可能かを考えるべきでしょう。古文書を持ち出してきて叫んでも仕方のないことのように思えます。
投稿: MAO | 2005/03/28 15:48
MAOさん おはようございます。
いろいろ考えていて遅くなってしまいました。
私がカナダにいたとき1世の韓国系カナディアンと一緒に仕事をしたのでその関係で韓国人と接する機会が多かったのですが物の考え方や国民性の違いは確かにあります。
日本人にしても韓国人にしても言葉から教育から文化までちがうのだから、そこに違いがあるのは当然で、既にそのような背景のあるもの同士がその属性を無い物とすることはできないと思います。
しかし、それはヨーロッパ系のカナディアンに対しても同じ事。
多民族が住むということは違いはあたりまえの前提にすることで可能になるのだと思います。
特殊な状況になるとそれが表に出る事があっても共存はできる。
私が竹島問題で自分自身にやりきれないのは日本の「歴史修正主義」に感じる「嫌悪感」と同様のもの(違いを受け付けない事)を今回の韓国の世論にも感じてしまうところです。
互いの実体である個々の人としての素顔を殆ど知らない。
互いに相手の看板を見て、それぞれ自分達の中だけで看板について議論し盛り上がっている。
人と人との交流がもっともっと必要なのではないかと思います。
認識を変えるには地道な下地作りの努力がまだまだ不十分なのだと思います。
EUではサッカーの試合などでナショナリズム的な盛り上がりがなくなってきたというような事を聞きました。(サッカーファンには寂しい事かもしれませんが)
それが可能なのは交流の歴史、違いを受け入れる下地があるからなのだと思います。
投稿: FAIRNESS | 2005/03/30 07:02
FAIRNESS さん。
おはようございます。
>互いの実体である個々の人としての素顔を殆ど知らない。
互いに相手の看板を見て、それぞれ自分達の中だけで看板について議論し盛り上がっている。
とても共感を持って読ませていただきました。
私も今、とても困っていることに直面しています。
顔のない相手から、「きめつけ」のようにバンバン、攻撃されて、人格を否定されて、ちょっと悲しくなりました。
私と個人的に関わりのある人なら、それはそれで反省の仕様があるのですが、、、困っています。
私が取るべき態度は何か?迷っています。
1,無視する
2,とことんつき合う
3,コメントをつけなくする
とか考えているのですが、、、
いずれにしても、ブログは現実生活ではなくて、仮想の中で楽しく、愉快に思ったままを書きたいと考えていた私は甘かったのでしょうか???
文字のみが伝える怖さをしみじみと感じています。
>人と人との交流がもっともっと必要なのではないかと思います。
認識を変えるには地道な下地作りの努力がまだまだ不十分なのだと思います。
本当にまだまだ地道な努力をしなければいけませんね。
「誠意」を持って人とつき合うこと、それはブログでも然りと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。
では、、、
投稿: せとともこ | 2005/03/31 09:54
瀬戸さん こんにちは
私も推移を見てついコメントを書いてしまいましたが、あのような展開は辛い物がありますね。
却って煽る結果になってしまったようで心苦しいです。
同じ対象を議論していても、そこに至るまでの前提を共有しているわけではないので何を重視するかの基準も違っているはずです。
考察の過程では誰しもが「もう一つの側面」を犠牲にしているのであって、多少なりともそれを選択によって捨てたい留保したりしているのです。
その意味では批判しようとすれば、批判の種は尽きないのですよね。(それはブッシュ政権を批判する我々も同じ)
捨てている物の中にある大事な物を見落としているかもしれないと言う姿勢は必要ですが、それに気づくにはその前提に対する視点の提供が必要なのだけれど、既に知れ渡っている情報をもって「自分と同じ結論が出ないのは間違っている」と決め付けられても得る物は無いし。
結論を押し付けるのも一つのレトリックで、押し付ける側は説明は要らず、押し付けられる側は説明を強いられるという構造をもっているので、自らの持つ「齟齬」に焦点を当てることなく相手の主張に必然的に内在する齟齬を炙り出すには都合がいいんですよね。
何か新しい物を求めている人や他人に理解もらおうとしている人はこのようなレトリックは使わないでしょう。
押し付けに対しては、感情が許せば「逃げるが勝ち」だと思います。
私は掲示板の頃には語調を変えてムキになって付き合っていた時期もありますが、決め付け論法にトコトン付き合ってしまったときは最初の論点など既にどこかに行ってしまいその時の後味の悪さと空しさもまた格別です。(苦笑)
話は少し変わりますが、こういったことの中に現実世界の紛争と似たようなところもあるような気がしてきます。
国という「生の実態」ではない概念に向けて、互いに自分の正当性を主張し中傷し合い互いに不信を募らせ戦争を起こし、焼け残った故郷を見て呆然とする思いと。
また、国の外交にも似たところがあるかもしれません。
自分の自尊心(誇り)を傷つけられても黙っているか、とことん付き合って違いを見つけようとするのか、違いに目もくれない相手ととことん遣り合って疲れ果てるまで誇りを維持するのか、逆に相手が折れることを前提に挑発して優位を保つというリスクを負う立場にたつのか。
また、トコトン受けて立つ姿勢を見せればつつかれる事は無いのか、相手の受け方(引くか引かないか)を常に正しく予測できるか 等々
国と言う「概念」が強固でグローバル化により「リアルを実感」できない国際社会で「平和」を考えるには絶好の観察対象かもしれませんね。
リアルが無いところではリスクにもリアルが無いのですよね。
投稿: FAIRNESS | 2005/03/31 16:14