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2005/01/15

NHK報道番組の放送内容変更問題

私の立位置からすると、取り上げたくなる内容なのだが、今のところ必ずしもどちらの言い分が事実か曖昧だし、2001年の出来事を「現在」の状況の中で考察するのも気が引ける。
今のところ事実が確認できるのは

2001年1月の番組で長井チーフプロデューサーが放送したかった内容がNHK幹部との打ち合わせで一部カットされ、その直前にNHK幹部と安部氏らが会った事実がある。

ということだけだ。

当初の報道(長井氏の話)では放送前日安倍・中川両氏に呼び出されて幹部と面談し、幹部から圧力がかかり番組の内容に変更を余儀なくされたというものだった。
(正確にはココを参照)
安倍氏は「公平公正な報道をしてもらいたい」といっただけだという。
中川氏は会ったのは放送後だとのこと。

今のところ言った言わないが双方にあり、いつもこの手の出来事に「ありがち」な展開になっている。
事実は今後の進展を待つしかない。
ただ、このような出来事が話題になると、つい「認識」について考えさせられてしまう。
(ちなみにここからは一般論で事実関係が明らかでない今回の出来事とは直接関係無ありません。)

人が人に「ある意図」を伝える方法はそこでかわされる言葉だけで決まるわけではない。
極端な事を言えば、互いに認識(前提)を深く共有する時には目配せ一つで伝える事ができるのである。
この「表に出てくる事が無い前提」を共有しているかどうかを証明する事は至難の業である。
以心伝心という言葉があるがこのような場合においては厄介以外の何者でもない。
これに権力が関わってくると尚更で、その権力の存在そのものが既に意味となり、共有する前提となりえてしまう。
弱い立場の者は、強者が言わなくとも推察する事を求められ、しかもその受け止め方は弱い立場の判断(選択)であるため、その責任までも負わなくてはならないケースは色々な場面でよく見られる。
しかし、確実に強者の「意図」そのものは伝わっていくのである。
強者である権力者は往々にしてこのような手段を講じて自らに危害が及ばないようにするのが常套手段である。
そこには人が「理不尽」と感じる何かがある。
社会に「理不尽」が積もれば積もるほど不満,不信が募り、住みにくい社会となって行くのだと思うが、それを合理的に解決する手段が見つからない。
全てが認識の共有で運営される社会であったり、全てが合理的な手続きで運営される社会であったならまだしも、根底に前者があり、表面上後者で判断される今の我々の社会ではそれ以上にこのようなケースが起こりやすく割り切れぬ思いに刈られる事が多い。
いずれにせよ、意図を証明する事ができようとできまいと、それとは関係なく「それ」は伝わり、事態は進行していく。
今のところ、合理的に表に出して議論する事ができない以上、それに対応するには自分の欲する情報に歪められないように「注意深く」周辺にある事実を繋ぎ合わせ、それでも間違いはあるという自戒を持ちながら、自らの責任において判断(選択)して行くという事になるのだろう。

これはあくまで一般論的な考察ですのでお忘れなく。

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