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2004/12/30

最大の「災い」

今年もまもなく終わりを迎える。
「災い」が今年の言葉ということだが、最大の「災い」を最後の最後に用意していようとは...
スマトラ地震は調査が進むにつれ、その被害の大さも拡大する一方だ。
被災者の方には心からお悔やみを申しあげます。

私は東海地震が予想される地域の海岸線に住んでいるので子供の頃から地震といえば「津波」という意識が刷り込まれている。
子供の頃には防災訓練があり、防災頭巾なるものを椅子にクッションとして置き、非常食を常備していた。
その間に、近くの海岸線の堤防もより高いものに改修されたりもした。
地震が起き、津波に襲われる夢を見たりしたのも1度や2度ではないと思う。
それくらい、身近な危険だった。
東海地震が騒がれてからどれくらい立つのだろう。
もう30年以上経つ事になる。
今,私自身の防災意識は以前に比べどうなのか?
明らかに子供の頃思っていて程ではないと思う。
自然にとっては30年など瞬く間の事なのだが、人間である私にとっては長い時間であり、気付かぬうちに防災意識が低下している。
30年以上もの間、東海地震が起きなかったとはいえ,それが東海地震への警戒を緩める根拠になどならないことなど判りきったことなのだが、(私にとって)長い期間それが起きなかった事で「来ないのではないか?」という希望的観測が意識の中に広がっている事を大きな災害が起こるたびに自覚する。
でも、しばらくすると普通に過ぎていく日常が繰り返される中で少しずつ忘れていくのだ。
「天災は忘れた頃にやってくる」
これも、災害の後には誰もが実感する事なのに、実際はその時が来るまで頭の片隅に追いやられてしまう。
人はすぐ忘れる。
戦争(人災)の悲惨をすぐに忘れるように。


海外旅行に行ったりした時に、自然そのままの海岸線を見て美しいと思う事がよくある。
それは海岸線に限らず、河川でも同じだ。
私の住む近くでは海岸線には大きなコンクリートの堤防が横たわり、河川は護岸工事でこれもコンクリートで固められている。
昔の写真などを見ると海があり、砂浜が有り、松林が有り、それが自然の調和の中に存在しているのだが、現在はコンクリートの建造物がその景観を無機質にしてしまっている。
もし、このような人工物がなければどんなに美しい事だろうと思ってしまうこともある。
しかし、この無機質な塊がなければ、東海地震や高潮などが発生した時には大きな被害をもたらすであろう。
ダムの建設なども、他のよからぬ思惑が絡むにせよ、人を悲劇から守ろうとする側面を持つことは間違いない。
もしかすると、このような人工的な世界に住む我々だからこそ、今回災害の起きた地域のありのままの自然にあこがれ、観光地としての価値が発生するのかもしれないと思うと複雑なものが有る。

自然は日々の人の生活に安らぎを与えてくれる。
一方で人の生死など歯牙にも掛けない冷酷さを見せつける。
人にとっては災害でも、自然にとっては必要な循環の一部でしかない。

しかし、人はその冷酷さをそのまま受け入れるようにはできていない。

人はこのやさしく凶暴な自然とどう向き合っていけばいいのだろうか?
天災も人災も仕方がないでは済まされないから人の知恵が試される。

来年こそは皆さんにとって「幸」多い年となりますように。

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