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2004/12/23

迷惑

私もその一人だが、実生活では人に迷惑をかけることを気にする。
でも、「迷惑」について疑問に思う事も多い。
イラク人質事件でも、彼らは世間に「迷惑」をかけたといって非難された。
「迷惑」とはそもそも何なのだろうと考えるとなかなか難しい。

少年が万引きグループという共同体に属している時、少年が万引きが悪い事であるという別の共同体である学校(社会でもいいが)の概念に沿って告発する事は万引きグループに属する他のメンバーにとっては迷惑だと感じるのではないだろうか。
別の共同体の概念を認識しない他のメンバーは迷惑をかけた少年を「裏切り者」として非難するかもしれない。

暴力団の悪性と暗黙のルールにより共存しながらそこそこ平穏に暮らす地域社会で、暴力団の悪性を別の共同体の認識である社会正義に沿って糾弾し始める事によりそこそこの平穏がかき乱されると住民はやはり「迷惑」と感じるのではないだろうか。
別の共同体の社会正義を認識しない住民は迷惑をかけた個人を「世間知らず」として非難するかもしれない。

従業員が企業の利益の損失を防ぐ為に「必要悪」として隠蔽を暗黙の了解とする共同体に属している時、従業員が社会正義に沿って隠蔽に異を唱え波風を立てた事で隠蔽が露見し企業に莫大な損失を与えたならば、他の従業員は「迷惑」と感じるのではないだろうか。
別の共同体の企業倫理を認識しない従業員は迷惑をかけた従業員を「偽善者」として非難するかもしれない。

最近の「改革」で何かと注目される官僚(広義では公務員)の意識にも同じような物があると思う。
各省庁もある意味同一性により維持される共同体には違いない。
その中にある秩序を乱す行為は「迷惑」と考えているだろう事は想像できる。
官僚や公務員個々が私事にのみに興味を持っているということではない。
逆に公に対する公共心が強いが為に組織を維持しようとする。
問題は彼らの公が共同体の外では公ではないことだ。

これらは「差別」「いじめ」「企業犯罪」「隠蔽体質」等々と密接に関係がありそうに思える。

「迷惑をかけない」ことは共同体の存続の為には有用な知恵ではあるかもしれない。
閉じた世界であるならば不都合に出会う事はないのかもしれない。
しかし、共同体(同一性)の持つ「共通認識」を越えて他の価値観とコミュニケーションが必要なケースでは有用で無くなる可能性も多分に有る。
また、何が「迷惑」かは共同体(同一性)を越えていつも共通であるわけでもない。
違う共同体(同一性)の共通認識に出会ったとき「迷惑をかけない」行為は、むしろ「迷惑である」にもなりえるのである。

ここで、もし全体を包む認識があれば個々の共同体の枠を越え「迷惑」の対象も共有できるだろう。
これまでは日本という同一性の共通認識(道徳心)がこの役割を果たして「迷惑」が有用であり続けたのかもしれない。
しかし、さらにその日本という同一性を越え、経済や文化のグローバル化や国際貢献への責任に直面し、共通認識(道徳心)への信頼が揺らぐ中で「迷惑」をそれらに起因する問題への解答にするにはあまりにも頼りない。
今の日本では「迷惑」が様々な場面で「負」に作用してしまっているような気がする。

本来は「自由」「人権」「個人の尊重」とそれを運用する手段としての「民主主義」がこれら多様性を包含しようとする思想・制度なのではないかと思えるのだが、日本では欧米とは違い同一性が維持できてしまった事でそれに頼りすぎ、結果としてこれらの運用に弊害を抱える事になってしまったのかもしれない。
やはりここでも、新しい「日本全体を浸す」認識の確立が必要なのだろう。
それはけして内向きな過去に懐古することではないと思う。
それではもともとの共通認識崩壊の原因である「必然としての経済や文化のグローバル化」に対応することはできない。
それを無視してその中に強引にシンプル性を求めようとしても、コンフリクトを生むだけだ。
過去も現在も内も外も全てを掘り下げ、構築する必要がある。
世界全体がある程度納得できる認識を共有できたなら、日本的な「迷惑」もまた有用になるのかもしれない。
そのときまでは「迷惑」で他を非難する際は同一性の認識に判断(選択)を委ねる手法は避けた方がいい。
人はシンプルな方が生き易いが、それは信頼できる秩序が有って可能な事。
変革期は基準が曖昧で煩わしく、シンプルであること自体が「迷惑」になりかねない。
だからこそ「変革期」なのであろう。

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コメント

「迷惑」という言葉が問題なのではなく、言葉を巧妙に使うことによって、現実をすり替える人々のほうが問題ですよね。
「自己責任」も「責任転嫁」の別名だし、
「迷惑」も「俺たちが普段やってることと違うことをするんじゃない」という感情を「悪」というレッテルに張り替える作業でしょうね。

本当にものは言い様です。

投稿: りーと | 2004/12/23 15:02

りーとさん コメントありがとうございます。
自己責任と迷惑、このいずれもイラク人質事件で使われた言葉ですけど、りーとさんが言われるように意図的にすり替えられてしまったように思えます。
言葉の使われる文脈が歪められたような気がして仕方が有りません。
何れも本質的には日本的な、どちらかというと内向きな発想なのに、グローバル化と共に注目された自己責任という言葉を使い、あたかも国際社会の概念であるかのような目くらましをしようしたような印象を持ってしまいます。
また一方で、その意識がなくともそれをその意図の通りに受け取る人が少なからずいたことが私にはそれ以上にショックでした。
自己責任も異論を唱える事も自由や民主主義の根幹に関わる事だと思うのですが、それを日本の従来からの価値観に基づく懲罰的な「自業自得」や「迷惑」に置き換える事に躊躇がないように私には見えるからです。

りーとさんのblogもよく拝見しています。
知識の豊富さに圧倒されてなかなかTBやコメントを残せませんがこれからも宜しくお願いします。

投稿: FAIRNESS | 2004/12/24 00:53

明けましておめでとうございます。
コメントのお返事有り難うございます。お褒め頂き恐縮致しております。
FAIRNESSさんのブログで、よく、「この点は忘れていたから、自分でもよく考えないと」「これは知らなかった」と感じ、示唆に富む話を教えて頂いていると感じております。
問題意識が近い方々とは連携して、よりよい世界を考えて行く上で、意見や見解を共有し、情報を教え合う等の協力が大切と思いますので、これからも宜しくお願い致します。

投稿: りーと | 2005/01/03 06:14

リーとさん あけましておめでとうございます。
今まで平和や安定した秩序を当然のものとしてその恩恵を甘受してきたのですが、以前からあった根がいよいよ表面化して無視できなくなってきたような気がします。
今年は更に先送りされたいろいろな問題が表面化してくるのでしょう。
それに対してまた色々な意見をお聞かせください。

投稿: FAIRNESS | 2005/01/04 21:54

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