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2004/12/31

覚悟

前回のエントリーで今年を終えようと思ったが、このグロテスクなテーマを新しい年に持ち込みたくないと思い返しあと一つだけ書いて今年を終えようと思う。

最近様々な局面で「覚悟」という言葉を目にするようになった。
きな臭い国際情勢、中国に対する警戒感、北朝鮮に対する怒り、そして我々自身の社会の閉塞感に対する嫌気が満ちている事がその背景にあると思う。
北朝鮮の拉致問題への政策として浮上した経済制裁に関する文脈では特に顕著になってきているような気がする。
殆どの日本人は北朝鮮に対する「経済制裁」を考える時に、日本が本気である事を伝えなければ効果がないことを感じている。
本気である事を示す以上、北朝鮮が「物理的反撃」をすることを抜きに語ることが「楽観論」になってしまうことを皆知っているのだと思う。
つまり、「有事」を覚悟し、その上で経済制裁を行なわなければ意味がないと思っている。

経済制裁に踏み切るならばやはり、その覚悟が問われるのは当然の事だと私も思う。

それでは我々は一体何を覚悟しなければいけないのだろう。

イラク戦争の例で見るならば死亡率の低い米軍でも1000人以上の死者を出しているが、その影で重軽傷者はその10倍以上にはなるだろう。(イラク人の被害がそれ以上だということは言うまでもない)
多くの人は被害を受けても、なかなかあっさりは死なせてはくれない。
閉塞感で絶望し自らの思いどうりに命を絶つ自殺とは違う。
このうち何人が障害や後遺症を持ちながら生きていかなくてはいけないのだろう。

北朝鮮がミサイルを打ち込んでくる事も覚悟するという事は通常兵器ではない「放射能」による被害も考えなければなるまい。
これは直接命を奪われる以上に生きている者の人生を無残な物にすることだろう。
ここでもそう簡単には死なせてはくれない。
被爆者の真実は隠蔽され、差別され、結婚も難しく、子を授かれば不安になり、被害を受けなかった者にはあっさり忘れ去られて健康の不安に脅かされながら「生きて」いくのである。それが被爆国の教訓である。

ミサイルを打ち込まなくとも、北朝鮮にとってはテロという手段も当然その選択肢となる。
子供の拉致殺害やドンキホーテへの放火などの事件でも社会不安が一気に高まる社会なのだから、日本社会を不安に陥れるのはそれほど難しいことでもなさそうだ。
社会に対する信頼という秩序に頼った社会資本は日本には腐るほどある。
これらを安心して利用できなければ経済がどうのこうのといっている今がきっと「のんき」に見える事だろう。
信頼の上で成り立っている経済がもし信頼を失ったなら、まともに経済活動が機能するはずがない。
日本が高度化した社会であることは、残念ながらこのような事態に対しては短所にしかならないかもしれない。

疑心暗鬼の中で、公安は在日の人々やそのシンパを炙り出す為に徹底的に調査する事だろう。
テロを見分ける為に締め付けは自国民にも向けられるはずである。
「有事」には人権などはあっさり軽視されることも考慮しなければいけない。
「現実的」である我々は、軍事力も国家権力も「有事」のまえにはなす術もなく受け入れる可能性は高い。

テロを含めた現代の「有事」を覚悟するということは、死や傷を負う事はもちろんだが、信頼によって成り立っている秩序(恐怖による統制的秩序ではない)が徹底的に荒廃することぐらいは当然想定していなければいけないだろう。

私が私自身の事で最も簡単に想像できる覚悟は「死」である。
あえて考えようとしなければ、せいぜい潔く一瞬で死ぬ自分の姿を想像するのが限界だろう。

しかし敢えて現実の戦場の情報から想像するとそんな潔い物ではなさそうだ。

脳みそが吹き飛んだ、形をとどめない大切な人の遺骸の傍らで、自らも手足が吹き飛ばされ、麻酔もなく,のた打ち回りながら、誰にも気付かれることなく、死にきれないまま苦痛の中で生き続ける事。

テロで爆破された瓦礫の下敷きになり、逃げる事もできず,迫りくる劫火に炙られながら髪の毛、衣服,そして自分の皮膚が少しずつ焼かれていく事。

爆風で飛び散った破片が腹を切り裂き、はみ出た腸を自分で抑えながら、何もできずに時間をかけて死を待つ事。

体が動かない自分を自覚しながらどこが傷ついているかも判らず、ただ他人の恐れと哀れみの目が自分に注がれる事。

熱線を受け、放射能を浴び、肌がだらりとたれ、そこにうじが湧き、吐き気と頭痛で不安と絶望の中で確実に死に向かう現実を見せつけられ、少しずつ弱りながらその時が来るまで生き続ける事。

いやそれ以上の物だろう。

死に方も,傷つき方も、生き方も、何一つ選ぶ事などできない不条理に直面する事であり、その不条理の中で「死ぬまで生きていかなければいけない」ことなのだろう。

国家を擬人化すれば、国が攻められても、私ではない他の誰かがこのような目に遭うだけで済むかもしれないという言う楽観的な錯覚をしがちな自分にはなかなか目が行かない。
「認識」である「国」は実際には傷つくことはない、傷つくと「考える」だけである。
実際に傷つくのは一人一人の生身の人間であり、生きる環境である。

たかが経済制裁でそこまで極端なことを考える必要はないなどと言う事ができるだろうか?
そこまで予想しない「覚悟」などはそもそも必要ない。
それは、暗に北朝鮮が武力行使などしないと希望的な予測をしているというだけの事で、「覚悟」とは全く別次元の話だ。
それならば「覚悟」を口にしようとしまいと、たいして変わりはしない。

一つの行動は次の必然を生む、その先にも予想だにしない事態(必然)が待ち受けている。
引くに引けない状態が理性的な判断をいかに無力化するかを見せつける事例は現在(もちろん過去にも)地球のいたるところで「紛争」という形で見る事ができる。
そこでは相手が優位か不利かはもはや問題とはならない。

我々はどこまで想像して「覚悟」を口にしているのだろう。

新しい年を希望の年とするために、私も本当の「覚悟」や「勇気」が何なのかを考えていきたい。

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2004/12/30

最大の「災い」

今年もまもなく終わりを迎える。
「災い」が今年の言葉ということだが、最大の「災い」を最後の最後に用意していようとは...
スマトラ地震は調査が進むにつれ、その被害の大さも拡大する一方だ。
被災者の方には心からお悔やみを申しあげます。

私は東海地震が予想される地域の海岸線に住んでいるので子供の頃から地震といえば「津波」という意識が刷り込まれている。
子供の頃には防災訓練があり、防災頭巾なるものを椅子にクッションとして置き、非常食を常備していた。
その間に、近くの海岸線の堤防もより高いものに改修されたりもした。
地震が起き、津波に襲われる夢を見たりしたのも1度や2度ではないと思う。
それくらい、身近な危険だった。
東海地震が騒がれてからどれくらい立つのだろう。
もう30年以上経つ事になる。
今,私自身の防災意識は以前に比べどうなのか?
明らかに子供の頃思っていて程ではないと思う。
自然にとっては30年など瞬く間の事なのだが、人間である私にとっては長い時間であり、気付かぬうちに防災意識が低下している。
30年以上もの間、東海地震が起きなかったとはいえ,それが東海地震への警戒を緩める根拠になどならないことなど判りきったことなのだが、(私にとって)長い期間それが起きなかった事で「来ないのではないか?」という希望的観測が意識の中に広がっている事を大きな災害が起こるたびに自覚する。
でも、しばらくすると普通に過ぎていく日常が繰り返される中で少しずつ忘れていくのだ。
「天災は忘れた頃にやってくる」
これも、災害の後には誰もが実感する事なのに、実際はその時が来るまで頭の片隅に追いやられてしまう。
人はすぐ忘れる。
戦争(人災)の悲惨をすぐに忘れるように。


海外旅行に行ったりした時に、自然そのままの海岸線を見て美しいと思う事がよくある。
それは海岸線に限らず、河川でも同じだ。
私の住む近くでは海岸線には大きなコンクリートの堤防が横たわり、河川は護岸工事でこれもコンクリートで固められている。
昔の写真などを見ると海があり、砂浜が有り、松林が有り、それが自然の調和の中に存在しているのだが、現在はコンクリートの建造物がその景観を無機質にしてしまっている。
もし、このような人工物がなければどんなに美しい事だろうと思ってしまうこともある。
しかし、この無機質な塊がなければ、東海地震や高潮などが発生した時には大きな被害をもたらすであろう。
ダムの建設なども、他のよからぬ思惑が絡むにせよ、人を悲劇から守ろうとする側面を持つことは間違いない。
もしかすると、このような人工的な世界に住む我々だからこそ、今回災害の起きた地域のありのままの自然にあこがれ、観光地としての価値が発生するのかもしれないと思うと複雑なものが有る。

自然は日々の人の生活に安らぎを与えてくれる。
一方で人の生死など歯牙にも掛けない冷酷さを見せつける。
人にとっては災害でも、自然にとっては必要な循環の一部でしかない。

しかし、人はその冷酷さをそのまま受け入れるようにはできていない。

人はこのやさしく凶暴な自然とどう向き合っていけばいいのだろうか?
天災も人災も仕方がないでは済まされないから人の知恵が試される。

来年こそは皆さんにとって「幸」多い年となりますように。

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2004/12/23

迷惑

私もその一人だが、実生活では人に迷惑をかけることを気にする。
でも、「迷惑」について疑問に思う事も多い。
イラク人質事件でも、彼らは世間に「迷惑」をかけたといって非難された。
「迷惑」とはそもそも何なのだろうと考えるとなかなか難しい。

少年が万引きグループという共同体に属している時、少年が万引きが悪い事であるという別の共同体である学校(社会でもいいが)の概念に沿って告発する事は万引きグループに属する他のメンバーにとっては迷惑だと感じるのではないだろうか。
別の共同体の概念を認識しない他のメンバーは迷惑をかけた少年を「裏切り者」として非難するかもしれない。

暴力団の悪性と暗黙のルールにより共存しながらそこそこ平穏に暮らす地域社会で、暴力団の悪性を別の共同体の認識である社会正義に沿って糾弾し始める事によりそこそこの平穏がかき乱されると住民はやはり「迷惑」と感じるのではないだろうか。
別の共同体の社会正義を認識しない住民は迷惑をかけた個人を「世間知らず」として非難するかもしれない。

従業員が企業の利益の損失を防ぐ為に「必要悪」として隠蔽を暗黙の了解とする共同体に属している時、従業員が社会正義に沿って隠蔽に異を唱え波風を立てた事で隠蔽が露見し企業に莫大な損失を与えたならば、他の従業員は「迷惑」と感じるのではないだろうか。
別の共同体の企業倫理を認識しない従業員は迷惑をかけた従業員を「偽善者」として非難するかもしれない。

最近の「改革」で何かと注目される官僚(広義では公務員)の意識にも同じような物があると思う。
各省庁もある意味同一性により維持される共同体には違いない。
その中にある秩序を乱す行為は「迷惑」と考えているだろう事は想像できる。
官僚や公務員個々が私事にのみに興味を持っているということではない。
逆に公に対する公共心が強いが為に組織を維持しようとする。
問題は彼らの公が共同体の外では公ではないことだ。

これらは「差別」「いじめ」「企業犯罪」「隠蔽体質」等々と密接に関係がありそうに思える。

「迷惑をかけない」ことは共同体の存続の為には有用な知恵ではあるかもしれない。
閉じた世界であるならば不都合に出会う事はないのかもしれない。
しかし、共同体(同一性)の持つ「共通認識」を越えて他の価値観とコミュニケーションが必要なケースでは有用で無くなる可能性も多分に有る。
また、何が「迷惑」かは共同体(同一性)を越えていつも共通であるわけでもない。
違う共同体(同一性)の共通認識に出会ったとき「迷惑をかけない」行為は、むしろ「迷惑である」にもなりえるのである。

ここで、もし全体を包む認識があれば個々の共同体の枠を越え「迷惑」の対象も共有できるだろう。
これまでは日本という同一性の共通認識(道徳心)がこの役割を果たして「迷惑」が有用であり続けたのかもしれない。
しかし、さらにその日本という同一性を越え、経済や文化のグローバル化や国際貢献への責任に直面し、共通認識(道徳心)への信頼が揺らぐ中で「迷惑」をそれらに起因する問題への解答にするにはあまりにも頼りない。
今の日本では「迷惑」が様々な場面で「負」に作用してしまっているような気がする。

本来は「自由」「人権」「個人の尊重」とそれを運用する手段としての「民主主義」がこれら多様性を包含しようとする思想・制度なのではないかと思えるのだが、日本では欧米とは違い同一性が維持できてしまった事でそれに頼りすぎ、結果としてこれらの運用に弊害を抱える事になってしまったのかもしれない。
やはりここでも、新しい「日本全体を浸す」認識の確立が必要なのだろう。
それはけして内向きな過去に懐古することではないと思う。
それではもともとの共通認識崩壊の原因である「必然としての経済や文化のグローバル化」に対応することはできない。
それを無視してその中に強引にシンプル性を求めようとしても、コンフリクトを生むだけだ。
過去も現在も内も外も全てを掘り下げ、構築する必要がある。
世界全体がある程度納得できる認識を共有できたなら、日本的な「迷惑」もまた有用になるのかもしれない。
そのときまでは「迷惑」で他を非難する際は同一性の認識に判断(選択)を委ねる手法は避けた方がいい。
人はシンプルな方が生き易いが、それは信頼できる秩序が有って可能な事。
変革期は基準が曖昧で煩わしく、シンプルであること自体が「迷惑」になりかねない。
だからこそ「変革期」なのであろう。

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2004/12/20

クルシュー砂州

今日(正確には昨日)のTBSの世界遺産はリトアニアのクルシュー砂州だった。
バルト海沿岸のこの地域には太古の樹液が化石化した琥珀を使った独特の文化を築いた人々が住んでいたということだ。
驚いたのはこの世界遺産であるクルシュー砂州の森林のその殆どが人工の物で有るという事だ。
もともと有った森林は16世紀の産業の拡大で伐採され、その殆どが砂漠化してしまったらしい。
またもや人間の愚かさを知ることになったのだが、ここでは人の愚かさだけではなかった。
砂漠化したはずの全長百キロにも及ぶこの砂州は今、立派な森林に覆われている。
これは自然に再生された物ではなく、クペルタスという人が植樹を始め、それに住民が呼応して植林運動が起こり人の手により一本ずつ植樹された結果今のような美しい姿を再現する事ができたのである。
富や欲の為に自然を壊すのも人ならば、それを意思により再生させたのも人なのである。
人の人たる所以をそこに見るような気がする。
最近の日本の現実主義者ならば「富と欲は人の性」、それに抵抗するのは理想論で片付けてしまうところであろう。
しかし、現実は違うのだ。
人はそれに逆らい自らの「意思」によりそれを為し遂げたのだ。

スターリンの時代になり、それを為し遂げた多くの人々はスターリンへの恐怖からそこから逃げ、残った人々の多くはシベリアに送られ、結局クルシュー人は消滅する事になる。
しかし、彼らの「意思」が為し遂げた「結実」は今も人々にその美しさを誇らしげに見せつけている。

最後まで示唆的ではないか。

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想像をはるかに越える

NHKでアーカンソン州兵の特集をやっていた。
以前ここに出てくる養鶏場の経営者と神父が招集されるまでの特集も放送していたような気がする。
今回はイラクに派遣されイラクでどのように過ごしているかまでカバーされていた。
焦点を当てていた2人はごく普通のアメリカ市民であったが,それぞれ平時の必要性から予備役に登録した事で、戦時となった今イラクに向け召集される事になった。
いずれも、アメリカ市民としての責任とアメリカへの誇りを持って戦場へ向かう決意を出発前には感じていたようである。
実際にイラクに派遣され任務に就く中で次から次へと戦場の現実が押し寄せてくる。
正規軍に比べ著しく劣った装備で身を守らなくてはいけない現実。
イラク人の為に行なわれているはずの任務がイラク人からの恨みを買う現実。
聖職者で有りながら女子供に銃を発砲しなければいけない選択に迫られる矛盾と向き合わなければいけない現実。
駐屯地が攻撃され仲間の死を目にすることにより、死の危険に実際にさらされる現実。

彼はこういっていた。
「これまでずっと人を信じてきたが、ここでは全てが敵に見える。」

そして、夜間パトロールで車列が攻撃され炎上する味方の車両を目にし、自分の装甲車にあたる弾丸の音に怯え、暗闇で見えない敵に反撃の乱射をしつづける。
そしてさらに口にする。
「現実は想像をはるかに越えていた。」

彼らはバグダット周辺に配備されたのでありファルージャに派遣されたわけではない。
彼らは圧倒的な装備で制圧する側の人間である。
それならば、イラク人から見た現実はどれほど想像を越えるのであろうか。
彼らに同情しながらも、その立場の人々に思いを馳せようともしなかったその傲慢さへの怒りも同時に込みあげる。

戦争を体験した事も無く平和に浸りきった大部分の我々日本人がどれだけ想像しようとも、さらにそれをはるかに超えるものであろう事ぐらいは「想像」できるだろう。
「国益」や「愛国心」が現実なのではない、戦闘で人の脳漿が飛び散り無残に死に、自分の体が吹き飛ばされ死ぬ事こそが、そこでは「現実」なのではないのか?
人の死に思いを馳せようともしない傲慢さは我々自身の物でも有る。

我々の先輩方はその「現実」を体験してきた。
多くの先達はその「現実」の中で散っていった。
多くの生き残った人たちは「絶え難きを堪え,しのび難きをしのんで」も戦争を止めることの方が良かったと実感した。
その時人々はやっと戦争が終り、戦争が無いことの尊さを思い知り何に代えても二度と戦争はこりごりだと思ったはずなのだ。

それを忘れた今の我々がどんなに想像して「覚悟を決める」などと口にしようとも、「現実」はそんな戯言など跡形も無く忘れさせてくれる事だろう。
この番組で取り上げたイラク戦争で「現実」に直面しなくて済むのはラムズフェルドやブッシュ大統領のような立場の人種だけであろう。
あなたや私は果たしてそのような立場の人種なのか?

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2004/12/10

内にある矛盾

北朝鮮拉致被害者 横田めぐみさんの遺骨が偽物であった事が判明し、ほっとしたと同時に、改めて北朝鮮政府の不実な対応が対話の可能性を悲観的なものとし、我々の気持を不信と反感で埋めていく。
そんな中で我々が持つ選択肢は経済制裁か更なる屈辱的な対話。
どちらを選ぶにしても拉致被害者を救い出す決め手とはならないのが現状。
イラク人質事件同様、米国以外の解決する為の信頼できる多国間チャンネルを持つわけでもなく、それを築いてきてもいないのだから間に合いもしない。

これまで国民にも無視され、今も尚、出口の見つからない苛立ちを抱えながら家族には貴重な時間だけが無駄に流れていく。
子供を取り返すためにできる事は何でもしたいと思うに違いない。
あまりにもあたり前の気持であり、そうある姿を諌める言葉など持てない。

もしかするとこれは、9.11で亡くなった方の家族が感じたものであり、何もせずに報復に巻き込まれて殺されたアフガニスタンの子供の母が感じたことであり、チェチェンで夫を連れ去られ殺された妻の感じたことであり、ベスランで監禁され犠牲になった子供達の両親であり、パレスチナでかばいながらも銃弾にあたって倒れた子供の父の感じたことであり、イスラエルで爆破されたバスに横たわる少女の兄であり、スーダン内紛で殺された家族の親族であり、ファルージャで.........なのかもしれない。

私が本当に実感できるのは同じ日本人として北朝鮮という国に対しての不信と反感だけでしかない。
そこから先は被害者の置かれた状況を想像し、自分の身に置き換えて感じることだけで、彼らの本当の気持を知る事などできない。
それでも充分苛立ち、怒りは募る。

これも 9.11で受けたアメリカ人(やその他の国民)の気持であり、その報復を受けたアフガニスタン人の気持であり、虐げられたチェチェン人の気持であり、テロに遭ったロシア人の気持であり、スーダン人の気持であり、パレスチナ人の気持であり、イスラエル人の気持であり、イラク人の.........なのかもしれない。

理性として頭の中で想像することはできる。
でも本当に実感を持てるのは私の身に近いところで起こることだけ。
もし「より近い者」に「より強い思い」を馳せない自分をそこに見つけたら、自らの人間性を疑うかもしれない。
それこそが恨みの連鎖の始点であり,争いの元である事を知りながら、それを認めないわけにはいかない。
何かを解決すべく争いがおこることで、それとは全く関係の無いものに新たな争点を作り出し,たとえ当初の問題を解決できても、それがまた新たな火種になる事を予想しながら、それを認めないわけいにはいかない。

しかし、認めながらも、想像を実感に近づける自分でありたいと願うのも国や民族という[意味]を守る為に国民や人々という[実体]が犠牲になる理不尽を素直に受け入れる事ができないのも私自身。
もちろん、これは絶望に生きるか、希望に生きるかに帰結しようとする私自身の全く非論理的で個人的な勝手な思いに過ぎないのは言うまでも無いが、それでも私が私であるためには大事な事で無視はできない。

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2004/12/08

判断を委ねる事(1)

私達は様々な場面で知らず知らずに他に判断を委ねながら生きている。
経済活動に使われる紙幣などもそうで、本来は絵が印刷された紙切れでしかない。
その紙切れを「他」が価値のあるものとして判断して、それに相当する物やサービスに提供してくれる事を高い確率で期待できるから「私」もそれを価値のある大事なものとして扱う。
今のところ(最近は怪しいが)、紙幣一枚一枚を本物であるかどうかを虫眼鏡や機械を使って判別しなくても使えるのも、「他」(皆)が本物を「私」に差し出す判断をしてくれる事を高い確率で期待できるからできる事だ。
最近、偽札事件が多発している。
犯人が実際にした事は「紙にある図柄に良く似た絵を印刷した」だけの話であるが、その期待の確率を低下させ「他に判断を委ねる」事をできなくしてしまうから重大な問題となる。

電車に安心して乗る事ができるのも、設計者、製造者、管理者の判断に安全を委ねられるからであり、安心して他人の横を歩けるのも、その他人が突然私を傷つけないという判断に委ねられるからである。
一般的にモラルといわれるものも同じだと思う。
皆が同じように考える事を高い確率で期待でき、「他」の「判断に委ねる事」ができる状態は、高度化された文明社会では必要な要素の1つになる。
もしこれが無ければ科学の発展により専門家し、複合化することにより成り立つ便利さや安全は、むしろ不便さと危険に豹変してしまいかねない。
原発などはこの信頼がなければとても認められる物ではない。
秩序崩壊後のロシアの核物質管理の甘さを見ても、その危うさを想像できる。
(これはモラルなき富と力の原理[あからさまな秩序]の持つ危うさも同時に示唆しているように思えるが、わき道にそれるので省略)

だから今の社会は不安や不信に対して脆く、それを突いてくる無秩序なテロに対しても脆いのだろう。
オレオレ詐欺のような、以前には想定できない信頼を逆手に取った無秩序な「悪意」に対して脆いのもそうだと思う。

「自己責任」という言葉が経済のグローバル化とともに注目度が増しているが、今も昔も本質的には変わらず「自己責任」自体は存在していたと思う。
社会の変化で、その概念をこれまで以上に「認識」せざるを得なくなったにすぎないのだと思う。
皆が同じように思う事に「判断を委ねる事」はその確率さえ高ければ効率的で過ごしやすい。(シンプルだ)
ただし、それでも確率は高いとはいえ裏切られる事はあるわけで、その確率に判断を委ねる事において「自己責任」が生ずる事には変わりはない。
これまでは裏切られる事が少なかった(と皆が思っていた)から意識せずにいることができたにすぎない。

グローバル化(もちろん経済だけの話ではない)は共通の認識に沿わない異質(違った価値観)を受け入れる事でも有る。
異質の流入は「他に判断を委ねる」為の条件となる「暗黙の期待に応える確率の高さ」を保証してはくれない。
そこでは「他に判断を委ねる」便利な手段は通用しないケースが頻出する事を覚悟する必要がある。
結果として意識しなくても済んだ「自己責任」という認識を意識せざろう得なくなったということ。
それまでの安定した秩序が不安定になったと言い代えてもいいと思う。
このような秩序の不安定化はいろいろな場面で見られる。

地域社会のコミュニティーもこれまでは暗黙の決まりがあり、近所の付き合い、助け合いなどもそれらの必要性という認識を共有していたからその決まりに「判断を委ねて」いられたのだが、その決まりが自由や個人主義、資本主義という異質の流入により支えきれなくなり「判断を委ねる事」ができなくなった。

会社も就職すれば定年まで働く事ができ、それが為に個人よりも組織のために一生懸命働くといった暗黙の決まりがあり、そのために組織独自の認識に「判断を委ねる事」もできたのだが、経済のグローバル化がその不文律(秩序)を不安定にしてしまっている。

国(内政、外交)や国際社会にもそれは言える。
これまでは冷戦構造という安定した秩序の中で平和、モラル、発展、自由、民主主義、親米といったものは多くの人にとって、それを問いただす必要もなく、これらに肯定的である全体の漠然とした判断に「身を委ねて」いても、それを始点として物事を考えようと、それほど期待を裏切られる事がなかったのだが、上記のような国内の秩序の低下により、冷戦の崩壊により、その後の世界の枠組みの変化により、これらにそのまま「身を委ねる事」ができなくなってしまった。
根拠のないレッテル貼りに使われるので好きな言葉ではないが「平和ボケ」とか「思考停止」もこのあたりと関係が有りそうだ。

その意味ではイラク人質事件に見られた「政府の方針に反する行為」を理由としたバッシングは、むしろ共同体である国(政府)の判断に身を委ねた旧来の構造に近いような気がするので、その立場で「自己責任」が語られると違和感を感じてしまう。
この立場で言うなら「自己責任」という言葉など使わず従来どおり「日本社会の価値観の維持の為にそこからはみ出す事は許されない」と主張したほうが論点も、違いも明確になるのではないか?
もちろん個人的には、この「自己責任」という言葉を使ったこのような論法は「自己責任」の意味を取り違えているのではないかと思っている。
グローバル化や世界の枠組みの変化に直面する中で、疑いもなく「共同体の判断に身を委ねる」姿を見せ付けられたようで、むしろ「自己責任」の認識欠如による危うさを感じてしまうのだ。

地域社会も会社も国家も過去の共同体の価値観に判断を委ねる事ができなくなり、新しい信頼できる秩序ができるまでは自らの判断としての自己責任をこれまで以上に認識せざろう得ないのは事実であろう。

最初の方で書いたように共同体の価値観に判断を身を委ねようと委ねまいと「自己責任」の存在そのものは違わない。
同様に、判断を委ねることが共同体が責任を引き受けてくれる事を意味するわけでもない。
共同体自体の判断が間違えば結局はその結果を自らが負うことになり、そのときに責任までも免除されると勘違いして共同体を罵倒しようともどうにかなる物でもない。

もちろん、共同体の秩序が低下しても尚、共同体の認識に身を委ねることは可能であるが、それが自らが納得できる結果をもたらすことを期待はできないということ。

果たして、このように低下した秩序の中で、全ての事柄を「ある秩序」に判断を委ねることなく「自己責任」の認識のみで人は生を処理できるだろうか?
それは、科学で言うならば電車に乗るときに技術的な事から、製造に関する事から、管理的なことまで全てにおいて自らが把握するか、把握できない低下していく確率の不確かさを承知しながら安全を運に任せるようなものだ。
文明と社会は切り離す事はできないし、すでに有る文明を人が放棄することも人の記憶がそれを許さない。
やはり、複合化に対応した何らかの信頼できる新しい認識(価値観)を創出していこうとするのではないだろうか。
それが、これまで慣れ親しんできた日本的な認識(価値観)を踏み込んで未来に向け再考しなくてはいけない理由であり、今、変革期に生きる私達が直面している現実のような気がする。

これに対してアメリカもヨーロッパもその他の勢力もそれぞれが違ったアプローチをしている。
「認識」のグローバルスタンダードの構築を現実の中で「意思」を持って推し進めている。
日本もその渦中(意思と意思の凌ぎ合いの中)にいることを忘れてはいけないと思う。

長くなってしまったので続きはいつかまた...

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2004/12/03

退廃美術展

私は全く絵画に詳しくは無いが嫌いではない。
旅行に行く時は美術館に立ち寄ることも時々ある。
好きな画家については絵画集を買ったりして、その背景を読んだりする事は有るけどあまり長くその内容を頭にとどめることもない。(記憶力が弱いだけなのだが...)
Monetも好きな画家の一人で、Bostonに多くの作品があったためその時間の多くを美術館に費やして、ボーとながめたりして時間を過ごしたりした。
筆遣いや絵の具の質感などは写真では判らないので、実物を目の前にすると近くによって眺め、離れて眺め、じっと見つめなどということをしてしまうので、時間はあっという間に過ぎてしまう。
そのボストンで私がMonetを好きになったきっかけになった絵がワシントンにあるという事を知って、急遽旅行期間を延ばしてワシントンDCまで足を伸ばした事も。(その結果以前のエントリーで書いたように中西部をバイクで移動中雪に閉ざされるという失態に繋がることになったのだが)
当然印象派を見る機会が多くなりルノアールやピッサロ、そしてゴッホやシャガールなども見る事も多くなる。
抽象画も目にすることにもなるが、そのあたりになると何かを読み取ろうとするような努力はしない事にして、目にとまるか、目にとまらないか、綺麗か綺麗でないか、奇妙か奇妙じゃないかなど殆ど見た印象だけで立ち止まったり通り過ぎたりして、作品を見る前にタイトルや作者を確認しないようにして、作品から受けた印象とタイトルとのギャップを楽しむ程度だ。
(やはりここでもblog同様、感覚的な見方しかしないようだ)

その程度なので昨夜NHKBSで取り上げたクレーの名は当然のように知らなかった。(「金色の魚」はどこかで目にしたようなしないような...)
その番組は画家パウル・クレーに焦点を当てながらナチス政権下で開かれた「退廃美術展」のことを取り上げていた。
これはヒトラーの芸術に対する統制・弾圧の1つとして行なわれ、プロパガンダ的な要素を帯びながら「退廃した」絵画を集め、さらし者にするような美術展だったようだ。
ナチスが本を焼却させたのと同じように危険な思想、民族の退廃の象徴として槍玉に挙げられたという。

退廃のターゲットにされたのは「常識で理解できないような物」「戦争の悲劇を表現した物」「ユダヤ人に関する物」などだそうで、私が気になったのはやはり「常識では理解できない物」という理由だ。
ある意味、芸術と言われる物は秩序を打ちたてようとする権力者の敵になる要素を持つのかもしれない。
秩序には認識の共有が必要となり、何らかの同質性が要求されるのだと思うが、芸術はむしろ既成概念への挑戦であったり、新しい価値の創出であったりして、同一性の枠からはみ出る物に違いない。
芸術の持つこれらの性質こそが人に感動を与え人に潤いを与える物になりえるのだと思う。

先日、「盲目的で愚かな試み」というタイトルで私は「赤裸々な人の姿」のまま人は生きることはできないと書いたのだが、芸術には「人の根源を求める」要素も含んでいて、私の中にある「それを大事したい」という気持をどう帰属させるべきかは結構厄介な問題に思える。
「赤裸々な人の姿のまま人は生きていく事はできない」をさらに発展させ飛躍させればヒトラーに繋がる可能性も秘めているような気がする。
一方で芸術もまた人にとって無ければ生きていけない物の1つなのかもしれないとも強く思うのだ。
だから何処かしら相反する物を含んでいるように思える。

これはまだ突き詰めて考えたわけではないが、突き詰めて考えていくと戦争にしても平和にしても愛にしても憎悪にしても相反する矛盾を色々な場面で見つける事ができる。
人は矛盾に対し究極の答えを探しつつ、試行錯誤により新しい認識を生みながらその解決を図ろうとする、しかし、永遠にその答えに到達する事は無いだろうと確信にも近い物も有る。
それでは人にとって答えの見つからない試行錯誤が無駄なことかといえば、そうでもない。
試行錯誤という行為そのものにすら「意味」を見つけてしまうのが「人」(私でありあなた)のような気がする。
「究極の答え」の代わりに時間軸と変化を含む試行錯誤があればそこに有用な意味を見出す事もできる。
今を生きる私達もそこに「意思」を反映させる事ができればさらにその「意味」は増す。

絶望は矛盾に耐え切れず試行錯誤を止めてしまったときに、そして最大の絶望はその矛盾がすべて解決してしまった時に起こる事であって、本当は解決できない矛盾があるからこそ人は希望を持って生きていけるのかもしれない。
ならば、人を取り巻く矛盾に満ちた世界(宇宙)は人にとって意外にやさしいのかもしれない。
などと
都合のよいことをちょこっと考えてみたりする。

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2004/12/01

叔母の死

先週小さな頃からかわいがってくれた叔母が心不全で亡くなった。
子供の頃は毎年正月には親戚が一同に会して酒盛りとなるのが恒例だったのだが、世代が代わるにつれて親戚とはご無沙汰となっていき、なかなか会う機会が無かった。
そんな中でも、叔母と最後に会ったのは去年だった。
突然たどたどしい足取りで杖を突きながら何時間も電車を乗り継ぎ、脳梗塞で倒れ寝たきりになっている母の見舞いに来てくれたのだ。
叔母は叔母の家族にこちらに来る事をしっかり伝えていなかったらしく、周りをやきもきさせたが、そのあたりがまた叔母らしかった。
多分、その時しか叔母が自分の足で来る事はできなかったと思う。
叔母はその時、何かを感じたのかもしれない、と今だから思う。
人から見れば苦労も多く、けして楽な人生を送ってきた人とはいえないかもしれないが、いつも笑顔を絶やさず、明るく前向きな人だった。
家の事情で通夜は兄が父を連れて参列し、私が翌日の葬儀に参列して父を連れて帰るという形になってしまったがしばらく会うことができなかった親戚とは顔を合わすことができた。
いとこもその子供達も会わなかった時間分の人生を積み重ねてそれぞれに成長していたり、くたびれていたりはしていたが、共有する話題になればやはり私の中にあるいとこ達そのもの。
いとこの話では叔母の誕生日を家族が集まって祝い、皆と過ごした翌日お風呂場で叔母は倒れたとの事だった。
叔母は誕生日に駆けつけた娘(いとこ)と親子で布団を並べて誕生日の夜を過ごしたらしい。
布団を並べながらどんな話をしたんだろうと思ったが、そんなことを聞く事はできなかった。
いとこはその夜のことを一生忘れる事はないのだろうな...
棺に叔母の好きだったバラの花や使われずに残った誕生日のプレゼントを添える「いとこ」の目に光る涙を見ながら私も心の中でつぶやいた。
「おばちゃん、ありがとう、安らかに眠ってください」

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