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2004/11/07

過去の制約

人質事件に関しての対応に関する国民の意識調査のようなニュースが出ていた。
政府の対応が適切だったとする意見が多いそうだ。
このようなトピックは設問がはっきりしないのはいつもの事だが
私はむしろ本当の意味で適切と考えていると言うよりも
政府にはそれ以外の対応の選択肢がなかった。
と国民は受け止めているのではないかと思う。
「現時点に至っては」この選択が妥当だったと。
過去は変えられないから現時点で与えられた「選択肢」で考えて、という事なのではないか?。

(そうでないと思う場合は以下は意味を成しませんので貴重な時間を無駄にせずに読み飛ばしてください。私はそう思うのでその前提で以下の文章を書きます)

この選択肢は今の現実だけでなく、実際には別の制約を大きく受けている。
変えられない過去を振り返らず将来を見る前向きな意見に見えるのだが、「これまでの経緯」と言う「過去」に大きく引きずられており、実際にあるあるがままの現実と日本人の価値観を率直に見ているとは言い切れない。
国として強く方針を出した過去があるから、米国に対する強い支持の手前、いまテロリストと交渉する弱気な態度は示せないと判断していわけで、米国政府のイラク政策に強く賛同する立場でなくそれをきりはなすことができれば交渉、譲歩と言う選択肢がないとはいえない。
同じ過去を持っていてもスペイン、フィリピンなど、実際にそのような判断をする国があるのが本来の現実世界である。(期限を決めて撤退を決めている国もある)

また、強く方針を出した状態から譲歩と言う大きな格差を「脅迫の結果として」見せたなら、つけいれられ、さらに犠牲を生むと危険性を予想する事もあるだろうが、これも「過去の経緯」の必然として出てきた物である。

世論調査で「適切」と答えた人の中でどれだけの人が
「米国主導によるテロとの戦い」に希望を持つ人がいるのだろう。
または、犠牲を払っても正しいと思って賛同するのであろう。
この戦いに付随する、日本の軍事的な意味合いの強化を歓迎するのだろう。
そして冷戦時代ほどの求心力を失いつつある米国の絶対性を、以前のように日本の発展の前提として信奉する根拠を確信できるのだろう。


過去によって歪められずに、純粋な判断が本当になされているのだろうか。
日本にとって国民の多くが正しいと思える価値や意思を、過去や他から押し寄せる現実に歪められてはいないだろうか?
どちらにしても「テロには屈しない」で「力によるテロ撲滅の支持」と言う事は徹底抗戦である。
勝算がなければ米国頼りで期待している恩恵などは受け入れられないだけでなく、失う物も大きくなる。
また、米国の思惑を正しく予想できなければ、方針転換による(表面上はともかく)事実上の日本の切捨てもしくは軽視のリスクも考えられる。
時間的な予測を誤れば長期化による米国の戦費負担も形を変え品を変え負担を強いられる事も覚悟しなくてはならない。
中東の一層の不安定化を懸念して米国を支持していても、為し遂げる見込みがないければ「力によるテロとの戦い」は逆に作用する諸刃の剣である。

過去の影響で現在を決める事がたとえ必然と思われても、今後の「展望が開ける」事を担保する事にはならない。
もともと理念と利害の両面に整合性を付けて動いている米国とは違い、日本の方針は広義の国益ではなく、狭義の利益だけで決められた政策である(理念は現実ではないと見る傾向は強い)、そこに見通しが見出せなければ方向を修正することがこのような決定には相応しい。

今も自衛隊派遣延長が過去にとらわれて決めようとなされている。
その条件として「状況を詳しく検討して・・・・」などというが、政府内では結論は決められている。
状況のデータがあろうとなかろうと結論を決めている。
何があったら「危険(戦闘地域)」かは現実的に定義などしていないし、できないだろう。
どんなに危険でも大事が起きない限り危険ではないと言い張ることは易い。
国民の感覚も特措法が論議されていた頃と比べどれほど危険への許容度がシフトしたかを自問自答すればそれもまた容易に想像できる。
このような状況で政府も国民も(言いたくはないが)自衛隊が実際に攻撃され、相当数の犠牲者を目にするまでは「危険認識」を共有する事はないのかもしれない。
しかし、そのような事態になればなったで、「攻撃されたから撤退する」状況を想像すれば「テロに屈する」事を今以上に露呈する事になる訳で、それを受け入れる事が政府にできるかといえば、期限を理由に撤退する以上に大きく国益を損ねるという苦痛に耐えるような困難な決断をできるとも思えない。
「テロとの戦い」を強調してきた首相がそれを受け入れる姿をどれだけの人が想像できるだろう。
ありそうに見えても先送りに期待した判断などは存在せず、困難を増すだけだ。
唯一、延長が正しいことがあるとしたらイラクが米国の思惑通りに平和に収束する事だが、私はその可能性は米国の姿勢が変わらぬ限り非常に困難に思える。
ブッシュ政権は国際社会を気にせぬ保守層、恐怖心に怯える人々、軍産複合体の支持で再選したように思える。
彼らの価値観を無視する事はできないわけで、国際世論の圧力で簡単に方針を変更する事もできず、協調ではなく、米国の正しさに理解を求め国際社会をいかに米国の方針に巻き込むかを課題とするだろう。
ヨーロッパにしても米国との関係を改善したくともこの姿勢が続く限り、表面的な賛同を示す事しかできそうもない。
かりに協調できたとしても、実を結ぶのはかなり先の話となる。(パレスチナを見れば良い)
自衛隊撤退を云々している間に事態が好転する事は期待できない。

事態は何が良いかではなく、何ができないかで進行している。
政治家を始めとして過去に起因する誰もができない(と思える)事に責任を取らないですむように何も起こらない事を期待して「運」に任せて継続しているのが実情であり、果たして本当の現実がそれを許してくれるのだろうか?
状況は違っても、勝てそうもない米国に宣戦布告した戦前の人々の心理も恐らく似たようなもので、それを間違った事をしたと言い放つ事は今の我々にはできない。
論理的でも現実的でも合理的でもない理由で過去との係わり合いで引きずられて決められることに我々国民は「しょうがない」を「現実的」と偽り納得しようとしているのではないか?

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