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2004/10/06

学問

小さい頃、算数は覚えなくても考えれば判る事だと信じていた。
頭にイメージして一つ一つその場で考えていけば解けると。
だから前のエントリーでも書いたが宿題をやらずに先生にビンタを食らう羽目になったのだが。
でも、さすがに普通の脳みそでは算数が数学になり中学の後半から高校になるとそうもいかない。
基本的な事をいちいち最初から考えていたのでは時間かかるし、局部に集中しすぎて問題の全体像もつかめなくなる。
基礎的なことや反復の重要性を実感するのはこんなときだ。
一つ一つを良く考える事も重要だし、その結論を体に染み込ませすぐに取り出す事ができるような訓練も大事なのだろう。

色々な意味で多様になり、複雑さが増して来ると学ぶべき事柄の絶対量も増える一方だ。
そんな増えつづける知識を教えるのに人の持つ時間は限られている。
どんなに社会が高度化して複雑になろうとも、それに比例して子供が義務教育を受ける時間が増える訳でもない。
学校の先生も大変だろう。
子供の可能性を考えると多様化した社会に対応する「基礎」自体も多様化しておかなければいけない。
限られた中で多くのことを教えるには、できるだけ結論の出た物を暗記し、技術的な手法を用いるしかなくなってしまうのも無理からぬ事にも思える。
技術的な手法ではやはり、根本から考える機会は少なくなり、その習慣すら無駄に思えるようになるのが自然なのかもしれない。

科学に関する知恵は先人の知恵を学び、その確実な知恵を拠り所に次から次えと積み上げていくものだろう。
科学の中でも特に「数学」はその仮定の存在による絶対性から先人の知恵が崩れる事はほとんど無いような気がする。積み上げ、分岐し更に積み上げていけば良い。
一番論理的な科学の分野なのではないだろうか。
「物理」とか「化学」などといった分野は論理性を仮定の世界から現実のものに適用していくという意味で数学の次に先人の知恵が確かなものだともいえるかもしれない。
しかし、ここには現象の捉え方(観測,解釈)の中に人の要素による限界や不確かさが加わるため先人の知恵が覆される事がしばしばある。
その他もろもろの自然科学もこれに準ずると思う。
哲学を科学とすると、それは人そのものを対象にするだけに、この限界や不確かさはかなり大きくなるのではないだろうか。

どれも思考の過程に論理性を必要とする事には変わりは無いが、その扱う対象は学問によって確かさが大きく異なってくる。
もっと簡単にいえば同じ科学でも不確かさが高ければ高いほどほど根本を見直す必要に迫られる可能性が高くなるのではないかという事。
(もちろんもっとも論理的な数学でさえも、発展させるためには根本を見直す事は必要だがそれはひとまず置かせてもらいます)

先ほど出てきた「技術的手法」に頼る事は確実に積み上げられるものには有効で効率が良いかもしれないが、限界や不確かさの比率が高くなればなるほど対応していく事が難しくなるような気がする。
そして、長く続いた技術的な学問の積み重ねが「人」という不確かのものへの関心を遠ざけている遠因にもなっているのではないだろうか?

歴史の本などを見ると、昔の人の「学問」にはその時代その時代で「人」について、今よりもっと学んでいたのではないかと思える。
科学としての「哲学」も、知恵の集大成ような「宗教」もそうだが、「どう生きるか」を重要な「学問」として学んでいたのではないだろうか?
確かに不確かで積み上げにくいもので理論でまとめきれないかもしれないが、先人の知恵を拠り所に時代に即して学び、追求していたのではないか?

現代の我々は確かな科学に対する技術的手法を、どうも不確かで根本を見つめる必要のあるものにも同じように適用してしまう癖がついてしまっているのではないだろうか。
いわゆる、(あまり好きな言葉ではないが)「思考停止」はそれに当たるのかもしれない。

「どう生きるか」と社会のかかわりは深い、政治との関わりも、国際問題との関わりも、地球規模の環境との関わりも,戦争との関わりも....

技術的で効率的な教育を受けてきた私の未熟さから、これらを再確認する必要性を感じている。
だから、日本の教育を考える時も、効率も良いが、答えのなかなか見えない不確かなものが気になってしかたがない。
確かな分野の科学は技術的な手法で専門分野化しても構わないが、この不確かな分野は共通して根本から学ぶ(考える)癖をつける必要があるのではないだろうか?
これは、あくまで不確かな感覚的な思いにすぎないが・・・

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コメント

こんにちは。
子供の頃、学ばなければならない知識の積み重ねに、現代に生まれた事を呪ったような事があります。昔は良かったよな、学ぶ事が少なくてと。まぁ子供心の単純な想いだったのですが、ある意味誰にも解決できない問題なのかもしれません。ほんと納得させられる文章です。

投稿: hasenka | 2004/10/06 07:20

hasenkaさんこんにちは
将来、知識はますます膨大になのでしょうね。
ありとあらゆる分野が細分化して専門化しないと対応できないのでしょうね。
自分の専門以外のこと判らなくなり、判らないことに囲まれながらその判らない事を信じて生きていく事になるのでしょうね。
そんな社会で「周りを信じる」ことができなくなってしまうと辛い。
やはり、いくら専門分野化しても、人であることの共通認識を持つ事がこれからはもっと重要になるような気がします。
ところでhasenkaさん ハンドル変更なさったんですね

投稿: FAIRNESS | 2004/10/07 11:31

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