ロシアも危険
ロシア北オセチヤで起きた事件は憎むべきテロ行為だ。
何の罪もない子供を盾にし,虐待し、死に至らしめたこのような行為にいかなる正当性も与えてはならない。
このようなテロは本当に無くしていかなくてはいけないのは言うまでもない。
しかし、今のロシア、アメリカやその他の大国の力による手法ではできないだろう。
行為に正当性を与える事はできないが、人は何も理由がなくこのような卑劣な行為に走る事はないという事実から目をそらす事はできない。
イラク戦争前にも掲示板で書いてそう思っていたし,今もまだその考えは変わらない。
むしろいっそう強く思うようになった。
間違いなくアメリカは以前より危険になった。
世界も同じく危険になった。
安全になったというブッシュ政権はあまりにも白々しい。
安全になったといわざるを得ないだけであろう。
危険になったのはアメリカだけではなかった。
今回のロシアでの事件、相次ぐテロでロシアもアメリカ同様危険になった事が明らかとなった。
つながりがないわけではない。
冷戦でふたをされ大国による理不尽を受けてきた「根」を共有している。
さらに圧倒的な軍事力で制圧しようとするところも共通する。
文明が発達し世界がつながり便利になった事で持てない者が持てる者に対抗する術を与えてしまった。
武器もそうだろう。
一昔前は個人が国家に「これほどまで」の打撃を与える事はできなかったし、その動機も共感も影響も小さかったが今は違う。
普通の人の中に紛れた敵意をどう見分けるというのか?
何処に敵がいるか、相手が何者かわからぬまま相手から身を守らねばならないのだ。
よく「テロ対策の不備」と言って反省する姿勢を示すが「テロ対策の完備」など本当に在るのか甚だ疑問だ。
今後の安全保障は国を相手に想定している「軍事力」などで保てるのか?
世界に比類なき軍事国家が日々おびえ、それを偽り、彼らにとっても不合理な戦闘を繰り返しているのである。
その国民を不自由を強制せざろう得ない状況に陥れ、その国民の半数は作り話に身を任せ自らを納得させている。
戦わざるを得ない状況に自らを追い込みながら国民の財産と生命をそれにつぎ込んでいる。
さらに,肝心の国内の自由と民主主義も後退を余儀なくされるという矛盾にも直面している。
しかし、できもしない間違ったテロ撲滅と気づいていようが今さら辞められない。
ひるむ姿を見せればば付けいれられるという恐怖心と虚栄心がそれを許さない。
ブッシュ大統領も本音をチラッと吐いた。
しかし、大きな流れの中ですぐにかき消された。
軍需産業は笑いが止まらないだろう。
需要は果てしない。
一体いつまでこの不毛な戦いは続くのか。
できれば小型核が出回る前に非現実的な「夢物語」からさめて欲しい。
日本は関係ない?
太平洋戦争のエゴのツケはいまだに払い続けている。
本質はさして変わらない。
戦争の正当性をいくら見つけ出そうが、その正当性を論理的に説明しようが人は忘れてくれはしない。
謝罪しようが補償しようが許しても忘れてはくれはしない。
「いまだにそのような事を言っている」などと逆切れしようがこれっぽっちも役に立たないばかりか「思い出す」事を手助けするに等しい。
それはもはや理窟ではない。
日本は米国から受けた殺戮を忘れたではないか?
などとは思わないほうがいい。
今は良い関係が維持する努力をしているから表に出にくいだけで、一度関係が悪化すれば過去の惨劇を調べ上げ、並び立て、正当化に走り非難の材料にするだろう。
忘れているわけではない。
忘れていても誰かが思い出させてくれる。
(ブッシュ大統領がイラク戦争に際し十字軍を持ち出したのは示唆的だ。)
しかも、事実以上に膨らませるというおまけつきで。
そしてこのような状況で人はそれに飛びつく。
そのときは事実などもはや知る術もなく、「都合の良い」解釈と思い入れだけが事実にとって変わる。
新たな大国のエゴを行使する事もそれに荷担する事も辞めた方がいい。
将来にわたって払わされる代償も敵意も普通の人々が幸せに暮らす為の糧になどはならない。
人の報復心、恨みをどんなに無視しようと、合理的ではないと非難しようと、力で押さえ込もうと因果応報。
人はそれを割り切れるほど合理的ではない。
このような不確かな要素を想像し計算に入れる事が、いまのところもっとも現実的で合理的なアプローチなのかも知れない。
それにしても人と人,物と物などの物理的干渉が拡大した世界でアイデンティティーを国家、民族,宗教等の共同体単位に求めていこうとする矛盾がこれほど大きい物なのかと痛感する。
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