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2004/08/14

日本的である事

戦後の価値観を覆す動きが活発化してきた。
憲法を筆頭に敗戦を機に取り入れられた価値観が否定され始めている。

軍隊を持たないこと
戦争に反対すること
基本的人権
自由
戦後教育
対外姿勢
歴史観
ジェンダーフリー
等々

冷戦構造が崩壊し、世界が変わったことで価値観も一変したのは事実だろう。
アメリカブッシュ政権がイラク戦争に突入したことにより、世界はきな臭くなり、不安と不信感であふれているのも事実だろう。
円高,バブル、バブル崩壊を経る中で行政の老朽化が表面化し、それを変革できない閉塞感があるのも事実だろう。
モラルが低下し、凶悪犯罪が目に付き、犯罪の低年齢化が社会問題化し安心して社会生活をお送りにくくなってきているのも事実だろう。
家庭の崩壊が謳われ、出生率が低下し、DVが横行しそれが将来に対する不安に繋がっているのも事実であろう。

このような現状に対して政府や国民は言い始めた。

軍隊を持たなければ平和は築けない。
戦争に反対するのは空想であって危険だ。
基本的人権が過保護の原因だ。
自由が利己主義を生みモラルを低下させる元凶だ。
戦後教育は左翼思想であり洗脳されている。
対外姿勢は軟弱だ強硬手段が必要だ。
戦後の歴史観は自虐史観であり、日本人が自信を持てない原因だ。
ジェンダーフリーは行き過ぎであり家庭崩壊の元である。

今の価値観に疑問を呈し、その矛盾を突きその対極を唱えることが今の潮流である。
不平,不満,閉塞感を作り出した犯人を何とかして既成のものから見つけ出し,既成の物をぶち壊すのは爽快な気分だ。
しかし、出てくる対案はどれも懐古主義にしか思えない。
本当にそんなところに原因があるのだろうか?

現在にウンザリするあまり、過去に失敗した物を懐かしがり、美化し、本来の日本人の姿と言いながらわずかな歴史しか持たない明治以降に作り上げられた日本の姿にしか目を向けていないような気がする。
江戸の市民の自由も奔放も、自然と共生する自然観も、世の流れに対する無常観も、謙虚さも、弱きを守り強きをくじく美徳も、全て置き去りにしてほんの短い特定の時代の日本の姿,しかも国家始まって以来の存亡の危機をもたらした時期の国家観に回帰している。

政府(与党)は「日本を愛する」「日本の文化伝統を大事にする」ことで「日本人が誇りを持つ」という。

もし、そこまで日本的な考えを重要視するならば「質素」「倹約」欲に惑わされない姿が基本となってもおかしくなかろう。
それなのにそういう立場を取る者が、なぜ欲を原動力とするアメリカ式資本主義には疑問の目を向けないのか。
日本的であるならば利己主義やモラルの問題は民主主義的要素(自由、基本的人権、国民主権)にあると言うよりもアメリカ式資本主義にその本質があると真っ先に疑問を持ち、まずこれに批判を加えても良さそうなものだ。
見方を変えれば、昔から日本で行なわれていた相互扶助社会、相互監視社会は、限りなく社民的(左翼的)ではないか?
グローバリゼーションが自然との共生と相容れない事に疑問を投げかけてもよさそうなものである。
日本らしさと言うのなら、なぜ「現実」で世の中を固定して絶対視し、それが「無常」であることを忘れるのか。
なぜその政策は強きを守り弱きをくじくのか?
なぜ謙虚さを忘れ近隣諸国に対し西欧的な傲慢な力の誇示により優位を築こうとするのか?
なぜ農耕民族である日本人が狩猟民族を目指すのか?
金とか益とかではない小さな宇宙観に幸福を見出すのがその文化ではないのか?
イラク戦争での日本政府の政策のように大儀も正しさもない「勝ち組み,負け組み」のような発想を根拠に勝ち馬に乗る行動を日本人は潔しとしてきたとでもいうのか?
アメリカ政府のイラクへの侵攻を見て仏教を文化に持つ日本人は「因果応報」を重ねあわすことはしないのか?
神道ではない仏教的な思想が本来的でないと言うならば多くの日本の文化遺産は意味を持たず消滅してしまう。

もちろん日本の文化・思想と言っても各時代によって様々であるから必ずしもそうあるべきだ等というつもりは無いが、このような物もまた日本の文化・思想である事に間違いは無い。

政府(与党)が持ち出す「日本の文化」や「日本を愛する」をその政策と比べたとき、いかにご都合主義であるかを問うのは実に自然であろう。
私には今の「日本を愛する」路線で出てくる政策は「日本を愛する」事とは全く関係がなく、ただ実利主義者が国民を誘導したいがためにこれを利用しているとしか映らない。
実利主義の国際社会で優位を保つために、それと相容れない日本文化をもって国内の求心力を高め正当化しようなどは実に矛盾に満ちた発想だと思うのだ。

(「国内の求心力を強く望むあまり国際社会がもっとも重要視する「自由」「基本的人権」を制限しようというところがまた別の意味で矛盾に満ちたご都合主義。
今の政府はこれらをイラクにもたらそうとするアメリカが正しいから支援していると言うのが建前でしょ。)

そもそも,もっとも日本人らしくない性癖を持つ与党の面々が推し進めているところが信用できない。
実利主義を前提とした現実主義者ならば現実主義者らしく、このようなものを持ち出して詭弁を弄したりせず論理的に利をもって説いていればいい。

国民が、問題を抱える「今」に不満を持ち、疑問を持ち、再考することは重要だと思う。
だからと言ってそれがすなわち「過去の短い期間にあった対極の物」を是とするのはあまりに短絡的ではないか?
それは目の前の「現実」に右往左往して「大事なもの」を失う事になりはしないか?
日本的な私は

「無常」の世の中では「目前の現実」などは仮の姿、すぐに変わってしまう。
大儀のないイラク戦争およびその統治手法は「因果応報」,必ず報いを受ける。

などと考えるが、それが「日本を愛する」人たちから「日本を愛していない」者にされてしまうのは悲しいことだ。

私は私自身の事を現実主義者だと思っているが、今の世界で起きている事を見ていると「無常」や「因果応報」がやけに現実的説得力をもって迫ってくる。
実際に目をあければそこ(9.11、パレスチナ、イラク、旧ユーゴ等)に見える「無常」「因果応報」を、現実主義者に「妄想」として簡単にかたずけられるのもまた悲しい事だ。

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コメント

いつのころからか、強い言葉で断定的に語ることが良しとされ、麗しき日本の伝統を壊したのは戦後にあるのだという主張が、声高に叫ばれるようになったように思います。これまでの過去を否定し、改革こそ善であり、それを否定するものの存在価値を認めない、そんな乱暴な空気を近頃ひしひしと感じます。
物事を客観的にみつめ、自分と違う他者の意見に耳を傾ける謙虚さを失わない、そんなFAINESSさんの姿勢に共感しました。

投稿: o-kojo | 2004/08/19 12:14

o-kojoさん、コメント有難うございます。
私は今の日本が捨てようとしている「日本」が好きで、政府与党が取り戻そうとしている「日本」が好きではないのだと思います。
日の丸も国歌も嫌いではなく、良い事も悪い事も全て含めて正対できる対象になればいいと思っています。
ただ、それを利用しようとする立場には疑問を持ち、憤りを感じてしまうのが実情でその意味で多分に主観的なのだと思います。
主観的だから「違いの根」を知りたいと思うのかもしれません。

投稿: FAIRNESS | 2004/08/19 15:37

今の日本の現状がはっきり判りました。様々な問題が出て戦後の方針の揺り戻しのようなものがあるのだと思いますが、それを強制や強論で押し込めるような風潮があるのはまったく嫌なものです。
江戸時代が良かったのか、鎖国をしていたから近代化に遅れてしまったと明治政府は近代化と植民地化を進めたのですが、それが西欧の反発を招き孤立化していった歴史があるわけですが。
日本はもう一度どういう国にするか根本的に見つめ直さないとダメだなと思います。

投稿: itten | 2004/08/19 17:56

ittenさん コメント有難うございます。
日本がどうあるべきかは一人一人の日本人が「どんな日本であって欲しいか」を問い直す事から始まるのではないでしょうか。
「国民が平穏に暮らせる日本」であったり
「格差はあっても刺激のある日本」であったり
あって欲しくはないけど「世界に君臨する日本」であることかもしれない。
平和を望むのに世界に君臨する事などないだろうし、軍事力によって国民(国家ではない)の平穏に暮らしを守ると言うのも詭弁だと思う。

今は外から押し寄せる「現実」が方向性を決める唯一の指針となっていて、それに対して正当性を付けているだけのようなイメージがあります。
何を望むにしても(望まなくてもそうですが)「現実」は立ちはだかるのであって、いちいち「現実」にぶつかるたびに「大事なもの」を排除していたら埒があかない。
「大事なもの」があり「現実」に直面し「妥協」すべきところと「毅然」とすべきところを見極め、それでも方向は常に「大事なもの」に向っているようになりたいものです。
戦後は「平和」が「大事なもの」でしたが、それが力を失い「大事なもの」を見失い「裕福」さを守るため「現実」に従順な難破船のようになりかけているように感じます。
一体、私達日本人は何を望んでいるのでしょう?
その望むものは本当に望むに値するものなのでしょうか?
本当にittenさんの言われるように根本の部分を見つめなおす必要があると思います。

投稿: FAIRNESS | 2004/08/21 13:51

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