国民の高揚
中国で反日感情を背景にした事件・出来事が以前に比べ多くなった。
今、行われているアジア杯でも同様に、これを利用して反日感情を煽ろうとする動きもあるようだ。
http://sports.nifty.com/headline/soccer/soccer_jiji_24F526KIJ.htm
実際に、中継での観衆の声援を聞くだけでもその雰囲気を感じとる事ができた。
背景にある反日感情が渦巻く中国の情勢を実感できない我々にとっては、歩いていて突然殴られたような気分になるかもしれない。
どうも、その動きは学生が主体となっているようで、インターネットはその感情の媒体として一役買っているようである。
西安市にある西北大学のわいせつ寸劇事件の例を見ると、内容が思慮に欠けた部分があったとはいえ、背景が無ければあそこまでの感情的な運動が起こる事は無かったと思う。
(私には)この事件では中国政府がこれら民衆(大学生)を、むしろ抑える側に回っていた印象がある。
実際に反日学生自身が中国政府の姿勢(報道規制等)に対し批判を加えたりする場面も見られた。
今回のアジア杯での中継中止にも同じような印象を受ける。
中国政府自身の手に余る状況だと見たほうがいいのかもしれない。
(今度は、この民衆の高揚を抑えるために中国政府が情報(中継)に規制を加える事で操作しようとする事で、またもや日本人には「生」の彼らの状況を知る事はなくなったとも言える。中国政府にとってはスポーツの場でこのような政治的に利用しようとする姿は世界に対し誤解を招きかねないし、後に控えるオリンピックにも影響が出かねないとでも思ったのであろうか?)
中国政府は市場経済参入に伴う情報流入が他の共産国に見られたように体制崩壊に繋がらぬように「反体制的な情報の規制」と「愛国心政策」をとり、求心力をそこに求めた。
この反体制的な物の蔓延を防ぐために布いた政策が、中国政府の思惑を超えて成長してきてしまっているように思える。
私は中国語を読めないので実際に中国のWebを見る事は無いので確かな事ではないが、中国の掲示板等では事実無根のデマももっともらしく流れているという事を日本のweb上で見かける事がある。
日本の掲示板でも同様の事が起こっている事を考えれば十分ありえる話だ。
国を代表する中国政府が「反日」的な発言をする事は「外交上の駆け引き」の要素もあり、即それが極端に走るという心配はしないのだが、その政府の思惑を超え根拠の無い情報により民衆が高揚する姿には不気味さを感じる。
権力者が意図的な思惑を統制できると思い違いをするのは日本も中国も同じ。
我々日本でも盛んに「愛国心」を盛り上げようと必死である。
好意をもって受け止めれば、「今の閉塞感、自信喪失感を払拭し、新しい日本を創ろう」という部分はあるのかもしれないが、民衆の思いは勝手に政治家などの思惑などはいとも簡単に超え、あらぬ方向に動いてしまうものだという事をしっかり肝に銘じる必要がある。
ところでこのような中国の民衆の「反日」に直面したときに、我々はどのような反応を示すのだろう。
やはり「なめられてたまるか」「誇りが許さない」「そっちがそうなら我々も」と中国民衆に対抗するような世論を創るべきだと思うのか。
それとも冷静に、しかしおもねることなく認めるべきは認め、主張すべき事は主張し、常に話し合いの用意がこちらにはあるというオープンな態度で臨むのか。
それは我々日本人自身の選択である。
私は前者の「対抗」は常々思うところの「恨みの連鎖」の入り口に過ぎないと思うのでそうなって欲しくない。
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