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2004/06/23

連鎖の恐さ

イラクで人質となっていた韓国人 金鮮一氏が殺害されたという。
イラク戦争で日本と非常に似た立場にある韓国に起きた悲劇は人事ではない。

「イラクへの派兵はイラクの復興の為」
と言う韓国政府の声明は
「嘘をつくな、イラクのためでなくアメリカの為のものだ。」
との声明とともにあっけなく無視されてしまった。
おそらく日本がそうであるように派兵の本質は「米国の為になる事が韓国の国益になる」との判断であることに間違いはないだろう。
政治や外交の世界で通用する「言い訳」も国家に身を置かない「生身の抵抗者」には通用するはずもないことを見せ付けられる。
韓国政府も「米国の力によるテロとの戦い」を支持し「イラクのため」という「大儀」を掲げている以上、彼らがテロをエスカレートすればするほど、なおさら引くわけには行かない。
「抵抗者」はそれを見てさらに韓国に対する「敵視」を露にするだろう。
韓国政府は「抵抗者」の「敵意」が強くなればなるほど、身を守る為の必然としてこれまで以上に「抵抗者」に対して「強行」な対応をとらざるを得なくなる。
また、それが自衛の為やむなしと正当化されていく。
その力の行使が米軍同様それまでテロリストとは関係ないもの達の被害を呼び反感を助長し新たなテロリストを製造しつづける可能性は大きい。
一方で正当化が韓国人自身のテロリスト化した「抵抗者」に対する「恨み」を助長していく。
現実が要求する「必然性」を考えれば、政権担当者にとってもっとも困難な「断ち切る」勇断がない限りこのような流れを予想するのは必ずしも極論にはならないだろう。

既に連鎖は始まっている。

日本が「韓国と日本は違う」と言っても、「抵抗者」らにとっては区別する意味も必要性もない。
まず、同一視される事は間違いない。
実際に違いもしない。
我々がどう思おうと,受け取る側の意思を変えることなどできない。
そうなった時は日本がたどる道もおそらく似たような物だろう。

連鎖は深まれば深まるほど後戻りする為に必要なエネルギーは大きくなる。
小さいエネルギーで戻れる時に戻れなかったものが、より大きなエネルギーを必要とするような状況で戻る事ができるはずもない。
すでに、そうなってはコントロールの枠外となり、我々は次から次へと現れる「より過酷な現実」になす術なく翻弄されていく事だけは覚悟しておいたほうがいい。
そこには理性が入りこむ余地はない。

「連鎖」の恐さはここにある。

好むと好まざるとに関わらず今の時代と将来に我々は責任を負っている。
「無関心」も「勇ましい」も「欲深い」も選ぶのは我々次第だが、もし不幸にもそうなった時は少なくとも後世の人々に「世界の流れに逆らう事ができなかった」などと見苦しい言い訳をするような醜態だけは見せたくないものだ。
我々は自らの意思で「流れを止めようとはしていない」のだから。

アメリカ政府が「大儀」で交渉可能である国家を破壊し、大儀の通用しない「生身の抵抗者」を世界中にばら撒いたツケは反応するエネルギーを使い果たすまで続くことになるのであろうか?

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コメント

こんばんは。

「テロ」の意味するところを再度確認する為に国語辞典を引いてみました。

テロ : 一定の政治目的のために、暗殺や暴行、粛清などの直接的な恐怖手段に訴える主義。暴力主義。また、その行為。

「テロ」とは、まさに今、アメリカがやっている行為そのものではないですか。
イラクの人達(特に被害に遭われた人達)が、アメリカこそがテロ国家であると考えるのももっともだと思いました。
そのテロを支援している小泉首相もテロリストである訳です。
日本は、いつからテロリストを首相に持つ国になりさがったのでしょうか。

投稿: ぶーすか | 2004/06/23 21:11

ブースカさん こんにちは
「テロリスト」とか「テロ」という言葉は本来の意味とは違う意味を持って既に一人歩きしているような気がします。
踏絵です。
何も考えずに即座に否定しなければいけない単語に変質してしまった。
この言葉のレッテルを貼れば誰もが黙り込む便利な言葉。
それならば米軍の非人道時な攻撃に対しては「一般人の無差別殺戮」とそのまま使ったほうがいいかもしれない。
今はそのほうが本当の姿がつかみやすい。
私はかなり前からあの有名なblog「Baghdad Burning」を良く見に行きます。
イラク人を代表するものと決め付けてはいけないでしょうが、思いが良く伝わります。
4月11日のエントリーには人質事件の事も書いてありました。
もう既にご存知とは思いますが、日本の人道支援とは何なのかを考えさせられます。
一応「興味のあるリンク」に追加しておく事にしました。

投稿: FAIRNESS | 2004/06/24 05:02

今回は、アルカイダ系のテロリストによる犯行だったので殺害まで至ったと言うことが言われています。アルカイダにとっては、抵抗のための行動は、民衆の支持を得ると言うことは全く勘定に入っていないのかなと言うことを感じて、ちょっと分からなくなっています。

深くものを考える人たちであれば、脅迫によって国策を変えるということは考えられないということはすぐ分かることではないかと思います。だから、あのような脅迫をするということは、本気でやっているのなら、脅迫の最初の時点で、すでに人質を殺すことを決めているとしか思えません。

ある種のメッセージを伝えることが目的だというのなら、日本人人質事件の時のように、何らかの理由をつけて解放したと思います。しかし、解放されなかったというのは、メッセージを伝えて支持を得ようと言うのではなく、まさに恐怖を与えて行動に影響を持とうとする「テロ」であるような感じがします。

この「テロ」は、あまり効果のあるテロとは思えないのですが、アルカイダというのは、もっと深い考えを持っている組織ではないんだろうかと疑問に思います。それとも、もう何かを考えると言うことすらあきらめて、とにかく抵抗の意志を示すことだけが目的になるほどに、彼らが追い込まれてしまったのだろうかと、ちょっと絶望的な思いも浮かびます。

他の人間の支持を得ようと思うなら、あまりにもひどすぎることには歯止めがきくと思うんですが、もはや支持などはいらないとなったら、歯止めがなくなってしまうような気がします。反米テロリスト集団は、そこまで追い込まれてしまったのでしょうか。

投稿: | 2004/06/25 10:30

秀さん こんにちは
抵抗者も本来のテロリストも米軍が攻撃を正当化するためにその免罪符として一括りに「テロリスト」としてしてしまうから判りにくくなってしまいます。
(元を正せば、国を背景にした力を持たない抵抗者がテロリストなのかもしれませんが)
さらに、その米軍の期待にこたえて「抵抗者」も「テロリスト」化し始めるからますます区別しにくくなる。
今回の犯行が「テロリスト」によるものかイラクの「抵抗者」によるものか拘束から殺害にいたるまでの韓国側の対応にも不明確な点があるのでわかりませんが、かなりアルカイダに感化されたものの犯行ではないかという印象はありますよね。
バーミヤンでの仏像破壊に見られるようにビンラディンに感化された狂信的な原理主義者には国際世論などは関係なく、ひたすらコーランの「彼らの解釈」に忠実であろうとする一面を持っていると思います。
その観点から見ると「彼らのジハード」が政治的な「駆け引き」を伴わない事も十分あり得る。
彼ら自身は存外「イスラムの民衆の支持を得られる」あるいは「得られるべきだ」と信じているかもしれません。
一方、ファルージャをはじめイラク各地での米軍の掃討作戦は彼らの思惑を(怒りのはけ口の無い民衆に限っては)現実のものにしかねない。
米国政府が本気でテロを無くす気なら本来こんな効果のない事はしないでしょう。
理屈に合わない「効果のない事」の応酬が「戦争」であって「連鎖」なのかもしれません。

投稿: FAIRNESS | 2004/06/25 13:25

こんにちは。
今日書いた「シャロット姫からノーラまで」というコラム、
勝手にトラックバックさせていただきました。
内容は本来はフェミニズム運動についてで、
私の「こだわりのテーマ」なのですが、、、
こちらの記事と関係無いかな??
とも思ったのですが、
もっと、本質的なところ、
人間の魂の部分での「未成熟」ということで、
TBしました。
よろしくお願いいたします!1

投稿: せとともこ | 2004/06/25 16:41

あるBlogを見ていたら、そこに陰謀説のようなものが書いてありました。テロリストとアメリカとが深いところでつながっているというものです。これは、どうにもわけが分からない行動を、ある意味では整合性のある解釈につなげることが出来るので、陰謀説というのは魅力があるんだと思います。

でも、陰謀説は、確かな証拠が挙がらなければ、ちょっとまともに論じる気にはなれないものでもあります。

CIAがテロリストを育てているというのは、かなり信憑性のある情報もあるようです。ビンラディンなども最初はアメリカによって育てられたという報告も見たことがあります。

今のイラクでのひどい状況が、陰謀ではないにしても、どちらの側にとっても利益となる面があるのではないかという疑いを持った方がいいかなとも思っています。

投稿: | 2004/06/27 00:22

秀さん こんにちは
アメリカの政治には常に陰謀説が付きまといますね。
その真偽はわかりませんが、「戦争で利益を得ない者がいないはずない」というのは普通に考えれば当然の意見だと思います。
普通の人々にとっては戦争程非合理なものはありませんが、例えば軍需産業がそうですが、資本主義経済の一部としてみれば利益追求の為には需要が必要なわけで、需要がない限り成立する事はないはずです。
このような思惑が政治家というピエロを操っていないと結論ずける事はできないでしょう。
以前、資本主義と民主主義のタッグの限界についてお話がありましたが、これもその内の1つとお考えなのでしょうか?

投稿: FAIRNESS | 2004/06/27 05:57

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