サラエボの冬を見て
昨夜、NHKスペシャルでイラク戦争前夜のバチカン外交、BSのアーカイブス サラエボの冬 を続けて見た。
ローマ教皇が開戦前にフセイン元大統領、ブッシュ大統領にメッセージを送っていた事はリアルタイムのニュースで知ってはいたが、実際にどのようなやり取りが行なわれていたかについては初めて知った。恥ずかしながら、教皇が過去の十字軍の間違えをあのような形で認めたことは知らなかった。
しかし、教皇の送った使者に対してブッシュ大統領が「この戦争が簡単に片がつく」と言うような事を側近に言わせたというところは忘れられない。
世界でもっとも力を持つ国家のリーダーがこれほどまで甘い見通しで戦争という挙に出てしまうことの恐ろしさを感じてしまう。
むしろ、深謀があったほうがどれほど気が楽か。
これについてはまたいつか書いてみたい。
「サラエボの冬」は冷戦崩壊後の民族戦争の難しさ,複雑さ、そして愚かさを考えさせられる。
それまで隣人として平和に暮らしていた人々が民族というアイデンティティーを「権力を握りたい政治家」達に利用され対立を深めていく構図、マスコミにより昂揚された民族意識が忘れていた歴史の怨念をよみがえらせ、隣人を殺し、家族を分断し,次から次に襲い掛かってくる「目の前の現実」の波に無抵抗に突き動かされていく姿を映し出している。
そこでは、権力を握ろうとした政治家ではなく踊らされた弱者から死んでいく。
誰しも戦いを辞めたい、でも辞めるわけにはいかない。
こちらが辞めても,相手が辞めるとは「互いに」思わないから辞められない。
何をしているか分からぬ中で「人の心」を失い、想像できない残虐行為が行なわれる。
すでに当初幻想していた民族の理想の姿などなく、大事な国土は荒廃し、多くの大事な物を失い,全てを消耗していくだけの世界。
以前「連鎖は続くよどこまでも」で同様の事をパレスチナについて書いたことがある。
一度、宗教,民族の憎しみの連鎖に足を突っ込めば、互いにぼろぼろになるまで止まらない。
おそらく、テロとの戦いもそうなのであろう。
我々日本人も同様の事が今起こりかねない崖淵にたっているのではないだろうか。
我々はそんな事は起こりえないなどと考えている。
サラエボに住むこの番組の主人公達もちょっと前までこんな事になるとは夢にも思っていなかった。
一体どんな根拠で「日本には」起こりえないと安心できるのだろう。
いつのまにか「平和」という言葉が陳腐に聞こえ始めていないか?
「平和」のような理想主義が戦争を引き起こすという意見に惹かれながら、軍隊を持つ国が軍隊を持つがゆえに戦争に突入するケースのことをすっかり忘れていないか?
今、醸成しつつある政府の「押し付けの愛国心」政策は、つい最近、彼の地で行なわれた「アイデンティティーの昂揚」とは違うとなぜ言える?
すでに、この「似非愛国心」が対北朝鮮、対韓国、対中国に利用され始め、私たちや周りの人たちの中に何かを芽生えさせ始めていないか?
両者が冷静に協力して共有できる歴史観を持とうと努力をする前に、近隣諸国の歴史観に対する反発感情が先行して来てはいないか?
特に発展目覚しい中国に対して「不安」や「不信」を募らせ始めていないか?
同様に経済的に力をつけ始め自信を持ち始めた中国でも同じように「反日」感情の昂揚傾向が見られないか?
それを見て日本人は「相手がそう出るなら我々も」などと思い始めていないか。
「中国や韓国や北朝鮮などになめられてたまるか」などと思い始めていないか?
相手も「相手がそう来るなら我々も」と思う事を想像できなくなっていないか?
勇ましくなければいけないと思い始めてはいないか?
我々の心の中にこのような感情が芽生え始めてきていたら、我々は「憎しみの連鎖」に既に足を踏み入れているのかもしれない。
現政府は法律を捻じ曲げる事にいささかも躊躇がなく,既に「目先の現実」で国の行方を決められるという前例を作ってしまっているのです。
政治家が安直に政権維持や国威昂揚の為に行った事でも、それが引き金となって渦に巻き込まれれば彼らでさえ止める事はできず、何もしなくとも勝手に「我々自身」がそれに拍車をかけて行くだろう。
「憎しみの連鎖」は「どちらが本当に正しいか」などとは全く関係ないところで、両者がそれぞれ「違う事を妥協ができぬほど強く思い込」んでいさえすれば,それだけでそこに陥る為の必要十分条件になる。
「互いに冷静に理解しようとする努力」を忘れた「こちらが正しく」「相手が間違っている」という認識の先には両者の莫大な損失が待つだけではないだろうか?
仮に紛争まで発展しなくとも、「両者にとって」不利益が待ち構えているだけだと考えたほうが良い。
目を開いて歴史や今の世界を見渡せばそんな例を見つけるのに苦労する事はない。
「サラエボの冬」は私にそんな事を訴えているように思えてならない。
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コメント
「バチカン・・・」を私は見ることができなかったのですが、うちの母が「ローマ法王が涙していた」ことにたいそう心を打たれたと言っていました。
深夜の再放送ではぜひ見たいと思っています。
投稿: Rough Tone | 2004/06/21 12:36
RoughToneさん コメントありがとうございます。
体調は回復しましたか?
RoughToneさんのblogが掲示板化させられそうで心配していました。
血圧が上がらぬようくれぐれもご自愛ください。
私は信心を持つタイプではないので、今のところ宗教は先人の「知恵」の集積だと自分を納得させています。
一般庶民が生きていく中で知覚できない、忘れがちな「世の中の理」を「~をしなさい」「~をしてはいけない」といった判り易い言葉に置き換え伝えようとしたのではないかと。
そして人は時として目の前の事にとらわれ、それよりも大きな自然の理を現実のものと捉える事ができない。
だから必然的に「理解」ではなく「信じる」事や「広める」事を人に求めたのではないか などと考えてしまいます。
現代社会を見る限り、「人の限界」に対するこの方策は一つの解決策として優れたものかもしれません。
しかし、その「信じる」という事が「排他」や「敵意」に形を変え、争いの火種になっている事が「皮肉」に思えてなりません。
「信じる」を「排他」に置き換える事を偉大な先人は望んだのでしょうか?
この番組をこのような「私の勝手な考え」に問いかけながら見ていたので「十字軍の過ち」を認め、その見地から「平和は願うものではなく作り上げるものだ」と訴える教皇の姿にわずかな光を見たような気がしました。
投稿: FAIRNESS | 2004/06/21 21:46
こんにちは。
相変わらず、理路整然とした文章。
いつも感心して読ませていただいています。
さて、
ユーゴの問題、難しいですね、、、
私は昨年の暮、
NHK特集だったかな???
「難民」を見て、やはり、暗澹とした気分になりました。
その折、
「どうして、日本人は先の戦争終結後、唯々諾々とアメリカを受け入れたのか?」
とても不思議に思ったのですが、、、
学生時代の友人の千田善さん
(http://www.pluto.dti.ne.jp/~z-chida/)">http://www.pluto.dti.ne.jp/~z-chida/)
が、ユーゴについては詳しく述べています。
〜もう、ご存じとは思いますが、、、〜
では、
お元気で。
投稿: せとともこ | 2004/06/22 13:54
FAIRNESSさん。
ごめんなさい。
千田さんのホームページ、
上手にリンクを貼ることができなくて、、、(^^;
もし、ご覧になるときは「千田善」で検索してください。
ゴ・メ・ン
投稿: せとともこ | 2004/06/22 14:02
せとさん コメントありがとうございます。
私は理路整然というタイプではないですよ。
国際社会、政治に対しては素人で、生活する一般人としての感覚しか持ち合わせていません。
実際のところいろいろなblogで見られる知識の宝庫に圧倒されています。
直感や体験重視なのでいろいろなところで矛盾が出てきます。
矛盾が出てくるたびに修正の繰り返し...
バブル、バブル崩壊、旧ソ連の崩壊、旧ユーゴの紛争、湾岸戦争といった変革期に私はカナダにいました。
だからもっぱら拙い英語力で見る新聞、CNNの情報とわずかばかりのNHKのニュースだけで帰国してから浦島太郎状態、日本の変わり様に驚きながら価値観の調整に本当に苦労しました。
9.11以降は特にそれまで気にもしなかったギャップがまたもやヒョッコリ現れて改めて当時を復習を強いられているのが実情なのです。
紹介していただいた千田さんHPの時系列的な情報は私の超長期リハビリに大いに役に立つと思います。
私が当然と思っていた「民主主義」と「日本の民主主義」のギャップにも最近の一連の出来事でやっと気が付いてビックリしたという呑気さですのでこれからもいろいろな情報よろしくお願いします。
投稿: FAIRNESS | 2004/06/23 03:46