一般人の妄想
荒っぽい考えだけれども、イラク戦争はアメリカの国益を宗教的な正義の価値観にうまいこと載せて行使された戦争なんだろうなという印象で見ている。
アメリカ人はイラクに自由と民主主義をもたらす事が正義だから支持している。
「国益」だけで、「正義」という裏づけが無ければおそらく戦争に踏み切ることなどできなかったと思う。
(その正義が虐待事件、大量破壊兵器の嘘で揺らいでいることはアメリカにとって深刻なこと)
一方でアルカイーダもイラクの反米勢力も「ごう慢な物質主義の異教徒の暴力」という悪に立ち向かう事を「正義」だと信じてテロという手段であろうと正当化している。
フランス、ドイツ(ロシアは良く分からない)などもイラク利権という国益をうまいこと米国とは別の見地から宗教的な「正義」と整合性をつけてこの戦争に反対の立場をとっている。
どの立場を見ても宗教的な「正義」を無視して「国益」や「利」だけで動いているところは無い。
直接の当事者たちは一神教的「正義」を基盤に人々の支持を得ているというところを無視してはいけないと思う。
アメリカ,ドイツ,フランスといった国を日本の感覚で国益だけで論じることは全くナンセンスだと思う。
わが日本は恐らく国民も政府もアメリカのイラク戦争を「正義」などと思って見てはいない。
日本的なわずかに残った道徳心(もちろん仏教、神道の影響はある)からすれば、イラク戦争を正しいことだと思うはずがない、だからといって民主主義の恩恵にあずかっている以上間違いだとも言わない。
「こちらの言うことももっともだが、あちらの言うことも分かる。」と言うような独特の感覚があるから。
「正義」だなどと言い切る感覚にはどうしても違和感がある。
たとえ,言ったとしてもそこには無理がある。
しかし、白黒はっきりさせる一神教が世界の主流であり、それに同化しようとすることが国際化だと考える日本だから国益(利)だけを判断の材料にしようとするのかもしれない。
「金は出しても血は流さない」という批判の根はこんなところにあるのかとも思う。
もしかすると、明治以降の政府はこのような国際社会に対抗する為に天皇陛下を中心とする一神教に順ずる価値観(求心力)を確立しようと試みたのだろうか。(今の自民党も)
いずれにしても、このような中で珍しく日本はアメリカ政府の政策を全面支持し「正義」を掲げようとした。
曖昧さにウンザリしている国民はこの言葉に爽快さを感じる一方で一所懸命、納得できない「正義」をいろいろな言葉を使って納得させようとする。
その姿には実に涙ぐましいものがある。
しかし、所詮付け焼刃であり、国民の感覚と「アメリカの正義」とに整合性を付けることはできない。
将来、国内的に矛盾を生み社会にも教育にも大きな問題をもたらすだろう。
このような無理をしても出てくるのはイラクの人質事件に見られるようなバッシングなどといった世界からは奇異に映る現象だけだ。
自衛隊の派遣、撤退の判断も一致した整合性が無いから曖昧になり効果も出せない。
冷戦後の世界はこの「正しさ」のバックボーンにある宗教、民族の対立が原因となる紛争が増え深刻化している。
妥協の無い宗教の「正義」と「正義」のぶつかり合いは一方的な勝利か泥沼に陥り、怨嗟を広げるだけでその解決策は見えない。
国際貢献という立場にたった場合、ただ他の先進国に同化するだけが国際化では無いと思う。
日本が無理をせずとも日本としての特徴を生かして果たせる役割があるのではないか?
日本人が言う「世界の常識」、「普通の国家」など今や紛争の原因にはなっても解決策は見出していない、そればかりか自国民さえ犠牲にしている。
(そもそも日本以外に「世界の常識」「普通の国家」などを国造りの基準にする国など無いと思うが)
先進国でありながら「平和憲法を持ち」「核兵器を持たず」「こちらの言うことももっともだが、あちらの言うことも分かる。」「国際連合を積極的に支援している」という一見のんきに見える発想を持つ日本には、今、他の先進国にはできない、国際社会が必要としている「何か」を持っているような気がしてならない。
「敢えて捨てるなんてもったいない」と思うのはただの一般人の私が考える妄想であろうか?
専門家の現実論も所詮、ろくな結果を出せないのだから大差ないだろう。
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