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2004/05/12

非現実的な現実論の蔓延

理想論、現実論この二つはいつも社会現象を考えるときにぶつかり合う。
もともと「現実に直面」するのは何らかの「理想」があるからであり、また、「理想」が生まれるのも「現実」があるから といった関係だと思う。
しかし、最近は「理想」と聞いただけで拒否反応が出るほど一方的に分が悪い。
会社でも、社会でも、政治でも、普段の生活でも「それは理想だ」と指摘されるとなんとなく尻込みしてしまう。
なぜこれほどまでに「理想」が衰退したのかを考えるのも面白そうだ。

会社で考えると「長引く不況」や「グローバル化」などが関係あるのだろうか。
「利潤の追求」はもちろんだが、本来は「社会に貢献する」も大事な「会社」の使命であり理想である。が、これだけ不況が長引くと「生き残り」を考えなければ「倒産」し従業員を路頭に迷わす事になってしまう。そんな中で理想は隅に追いやられる。
残業時間が長くなろうとも、賃金が未払いでも会社が生き残らなければ元の木阿弥、生き残るという現実なしに理想など語れるか と。
そんな中で起こるのが雪印であり三菱だ。これは起こるべくして起こり、今後も同じような社会倫理に反する企業行為は後に続くだろう。これは氷山の一角だと思う。サラリーマンならたいてい知っていることだと思う。こんな状況で絶えながら生きているものにはイラクで人質となった3人の理想論は鼻につくのは尤もなのかもしれない。
このように理想を夢見る事など許されない状況がそこにはある。

社会ではどうだろう。
規制ではなく「モラル」「道徳観」による自浄作用が本来は理想である。
しかし、犯罪が多発し、犯罪形態も多様化する中ではまずは身を守る事が優先である。身の回りで起こる犯罪にも、下手に口を出そうものなら逆に自らが被害にあってしまいかねない。ごみを捨てるものに注意などしようものならわけのわからぬ雑言を浴びいい事は何もない。回りもフォローしてくれるわけでもなく、警察も不祥事を繰り返し、些細な事では動いてもくれない。
こんな中では「理想」である「モラル」「道徳観」などに頼ることはできない。
「マナー」「モラル」「道徳感」と言う言葉は見るだけで「無力感」を連想させ、逆に其処からは目を背け、悪態をつきたくなるのが現状である。
こんな中では弊害があることはわかっていても規制や法律で律していく「現実論」が主流になるのも無理はない。

政治ではどうか。
アメリカのイラク戦争に「正しさ」などを感じなくとも、「北朝鮮の脅威」が目の前にある、「経済的にもアメリカの制裁」がちらつく。
湾岸戦争では欧米から日本の姿勢を非難され「平和主義」のような理想に疑問をもたざろうを得ない。
国内でも「国民の意思」などは政治の場には反映されず、唯一反映できるはずの選挙でもその受け皿が存在しない。マスコミも話題になる事を報道するだけで本質的な議論には見向きもしない。自然と投票率が下がり更に無力感だけが増すばかり。
こんな中で「日本はどうあるべきか」などという「理想論」は雲の上の存在で見るのもまぶしく、手近にある現実的な選択肢しか見ることが許されない状態。


単純に過ぎるが、それほど外れてはいないと思う。
いずれにしても「理想論」はこのような状況の中で分が悪い。

どれをとっても「無理からぬ事」なのですが、それではすまない事情がある。
これらがこれからも続いていけば行くほど、人の幸せからは確実に遠ざかっていき、ますます後戻りが困難になる、というもう一つの「現実」が控えているという事です。

企業倫理の低下は露見すれば結局は社員を路頭に迷わす事になるのはもちろんだが、露見せずとも、社会に損害をもたらし、個人の生活を圧迫していく。

「モラル」「道徳観」の低下は規制を呼び人々の自由な生活を束縛するだけでなく、更に犯罪の巧妙化、多様化を呼び入れ、更なる規制が加えられる。自由と権利はますます「公共の利益」の名のもとに抹殺されるという悪循環。そして、この規制は一部の者に利用される事も十分ありうる。

理想を失った政治は、無関心を助長し、それに危機感をもつ人が苛立ちからありもしない「特効薬」を求める風潮も生まれかねない。世界が共感する理想も大儀も持ち合わせない国家が国際社会で役割を果たせるはずもなくアメリカ以外には目が行かない日本は孤立すらしかねない。

目を背けたい「現実」ではあるがそれを避けて行った結果が世界恐慌以降の昭和の歴史にある。私たちはあまりにも、その時代を歴史から切り離し、異常な時期として「特別視」し、今の日本そうはならないと過信しすぎているような気がする。
こんな時期だからこそ、私たちは「私たちがどんな世界を望むのか」をしっかり判断の基準として持ち続ける必要があるのではないでしょうか。
それに向かって立ちはだかってくるのが本来の「現実」であり「妥協」なのではないかと思う。

理想のない現実に将来などはない。

ついでに
現首相の政策が正しいかどうか判らない、が「将来のビジョン」を国民に示そうともしない姿勢を見る限りいくら改革を訴えようと、到底信用などできない。

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コメント

はじめまして、Toritoriです。

理想と現実とは振り子の様なものでは無いでしょうか?
振り切れば元に戻ります(戻り始めはゆっくりですが)。
まじめな理論では無いかも知れないですが、
以外にこんなもんじゃないでしょうか。

現状、理想論の分が悪いことは同意です、私も妥協案と
落とし所を探すのに日々苦労してますよ(笑)。
では、また寄らせていただきます。

投稿: toritori | 2004/05/16 09:01

Toritoriさん
コメントありがとうございます。
「振り子のようなもの」という性質はあるかもしれませんね。
個人個人が良くない流れを肌で感じられるようになり流れが逆の方向に向くのは自然な事だと思います。
大きく見れば、太平洋戦争にしても、戦争で徹底的に破壊され大きな犠牲を出して軌道修正ができた。と見れば自然かもしれません。
世界のいろいろな時代で、さまざまなところで興隆が起こるのも同じ事かもしれません。(こうなると「諸行無常」「盛者必衰」の世界になってしまいますが)
しかし、日本国内では振り子が戻る作用は終戦まで働かなかったのも事実ではないかと思います。
最終的に「振り子が方向を変わる位置がどこか」と言う事は今を生きる私たちにとって無視できない重大事であり、意識的に問題視することが振り子の位置を決定するのに大きな影響を及ぼすのかも知れません。
振り子のお話をお聞きし、そんな事を考えました。

投稿: FAIRNESS | 2004/05/16 12:40

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